2019年5月3日金曜日

トラウマ体験と二つの世界【前編】

回復へと向かう道の途中では、さまざまな現象が起こる。
中でもとりわけ気味が悪いのは

【自分の中に人が二人いるみたい】

という感覚ではないだろうか。


「自分の中に全くタイプの違う人格が二つある」といった異様な感覚、と言い換えてもよいかもしれない。
人格No.1は明るく、他人を簡単に信頼してしまいがちな、虐待前のあなた。
人格No.2は、虐待で身も心もすっかり疲弊し、被害妄想の囚われ人と化してしまった現在のあなた、だ。


Image by Pixabay

この背後にもきっと何らかのメカニズムが働いているに違いない。


よりわかりやすくするために、ここからは

【あなたの中に二人の違った人がいる】

ではなく、

あなたの中に【全く異なる二つの世界が同居している】

と、少しだけ表現を変えて話を進めていこう。


まず、あなたが日頃見聞きする世界というものがあるよね。
いわゆる【現実世界】のことだ


だが、この【現実世界】とは別に、全く性質の異なる世界、すなわち

【自分の心の内側でしか感じ取ることができない世界】

も同時に存在している。
これには大多数の人が同意してくれると思う。


人間は【心の内側に広がる世界】へと足を踏み入れることによってはじめて、全宇宙、生きとし生ける全ての存在との特別なつながりを体験できるものだ。
遠い昔、幼い頃の僕らは特に誰かから教えられたわけでもないのに、両方の世界を一人で上手に行き来していたのではないだろうか。



だが、「大人」への階段を上り始めると、そうした世界との付き合い方も変わらざるを得ない。
社会という小さな枠組みに自分を合わせる必要に迫られて、入りびたるのはもっぱら【現実世界】の方だけ、となっていく。
【現実世界】にどっぷりはまればはまるほど、もう一つの静かな世界、つまり【心の内側に広がる世界】は僕らにとって縁遠い存在となる。


そんな自分の偏り具合を知ってか知らずか、僕らは少しずつ自分の周囲に頑丈なバリケード(防塞)を築き始める。
迫り来る外敵から自分を守らねばならないからね。
社会の中での定位置が大体決まれば、その場所ぐらいは極力安心して過ごせるようにしておきたい。
そう考えるのは人間の性(さが)というものだ。
だから、ガードもますます固くなる。緩まる気配など全く見えない。


不安。虚栄心。挫折。
多少の傷など気にするな。かっこ悪いことも、恥ずかしいことも、バリケードを高くしておきさえすれば、何とかなるさ。
要は外から見えなきゃいいんだろう?...


こうした生き方が身に付くと、他人や物事をうわべだけで判断することにいささかの抵抗も覚えないような、薄っぺらな人間になってしまう。
【心の目で見る】ことなど、すっかり意識の外へ吹き飛んでしまったかのようだ。
気分は上々。今が良ければそれでいいのだ...。


それにしても人間というのはつくづく哀れな生き物だ、と思う。
この世に生まれ落ちたその瞬間から、保身用のバリケードをせっせと作らないではいられないのだから。
バリケードは毎日僕らに向かって「強くなれ」と叱咤激励し続ける。
ただ、それはあくまでも【現実世界】の好みにかなう、形だけ・表面だけの「強さ」を身につけよ、というだけのこと。
内面からにじみ出てくる正真正銘の強靭さとは似て非なるものである。


今まで生きてきて、何もかもがうまく運んだ、悪いことなど一つも無かった、などと言える人は、世界広しといえどもそう多くはいないだろう。
ある程度の人生経験があれば、誰だってそのぐらいはわかるはずだ。
災難、喪失、傷心...。
生きる、というのは数多くの困難をくぐり抜けていくことだ。
困難に見舞われるたび、僕らが頼りにしている鉄壁の【バリケード】はあちらが削られ、こちらが欠け落ち、またあちらが砕かれて...といった具合に、ダメージを被る。
元の立派な姿は徐々に失われ、みすぼらしさの方が目立つようになっていく。


とはいえ、人生もはやこれまでだ、どうせ残りは消化試合だし、なんて早々と諦めてはいけない。
だって僕らの人生・第二幕はまさにここから先が一番の見せ所なのだから。
苦労を重ねて多くのことを学んだおかげで、以前なら見向きもしなかったもう一つの世界...【心の内側に広がる世界】...との失われたつながりを、ようやく僕らは取り戻し始める。
もう焦ることはない。急がなくてもいい。一歩一歩進めばいい。
前よりも随分と賢くなった。世間の荒波にさんざんもまれたけれど、それは決して無駄ではなかった。
以前とは違い、周囲の人々にも慈愛のこもった眼差しを向けられるようになった。


「ああ、あれは完全に若気の至りだった...」
「随分とバカなことやったもんだ。我ながら呆れるよ。」
思わず赤面することも、首をひねりたくなることも山ほどあるが、今となっては結果オーライ。一つ一つが味わい深い思い出だ...。


...と、まぁ、これが大抵の人にとっての典型的なパターンではないだろうか。
(少なくとも僕の想像ではそういうことになっている。)


ところがそうした「人生再起動」の構図の中にトラウマ(心的外傷)体験が紛れ込んで来るとなると、話はややこしくなってくる。


僕らを襲った数々の「苦難」は、「サンドペーパーであちらこちらを徐々に削り取られるような...」といった詩的表現がぴったり来るような生易しいものではなかった。
常人の想像が及ばないくらいの、激烈極まりない体験だった。
なにしろ、自分を守ってくれるはずの【バリケード】が一瞬にしてガラガラと音を立てて崩れ、全てが無に帰してしまったのだからね。


頑丈な【バリケード】さえあれば、自分をしっかり守れるはずだ。
そう考える人は決して少なくはない。
だが、あなたの場合は、そもそも築き上げたバリケード自体が大して頑丈ではなかった。
元々が脆弱だったからこそ、奴からきつい一撃を食らっただけでいとも簡単に崩落し、以来再建のめども立たず、というむごい結果になったのではないだろうか。


相手から無慈悲に切り捨てられて、バリケードが完全に崩れ去り、無防備な状態でいる。
それが今のあなただ。
だからこの時期は自分の発言や行動にも細心の注意を払わなければならない。
些細なことで他人に当たり散らしたり、はたまた他人を傷付けたり、ということをうっかりとやってしまいがちなんだよね。
慎重になるに越した事はないよ。


あなたは今、他人のやることなすこと全てに対して神経過敏になっているんじゃないかな。
これ、傍から見ていて実に危なっかしいんだよね。
そもそも、自分が一体何をやっているのか、あなた自身もよく把握できていないんだろう?
(もっとも、「何をしているのかよくわからない」という状態はかなり前から続いていたよね。別に昨日や今日始まったことではない。)


他人にべったり寄りかかる。
一人になるのが耐えられない。
辛かった頃の話に耳を傾けてくれそうな人がいれば、誰彼構わず捕まえて、思いっきり愚痴を吐かせてもらう...。
近頃、そういった行動に出てはいないだろうか。


一方で、以前大好きだった物を見ても聞いても、感情がピクリとも動かない、麻痺したように無反応、ということもある。
これもまた、捨てられ体験を経た人特有の症状だ。
「ああ、そういえばそんな時期もあったっけ...」と、あたかも故人の思い出話でもするかのように淡々と自分の過去を回想する。
昔は良かった。毎日が明るく、楽しく、そして色鮮やかだった。だけど今は違う。何もかもが変わってしまった...。


一体どうすればいいのだろう。
何もかもが「行き詰まって」しまったかのようだ。


でも、「行き詰まった」と言っても、それは一体どちらの世界での話なのだろう。
【現実世界】で、なのか?
それとも【心の内側に広がる世界】で、なのか?


少しずつ傷が癒えるにつれて、あなたの内面にもじわりじわりと変化の波が押し寄せてくる。
ここであなたはようやく、子供の頃に離れたきり一度も戻っていなかった領域、すなわち【心の内側に広がる世界】へと再び足を踏み入れることになる。
驚いたことに、そこであなたを迎えてくれたのは平和、そして安らぎに満ちたすてきな世界であった。


想像力。

霊性。

愛。
もちろんこれは正真正銘、本物の愛のことだよ。


自分アゲアゲ、自分さえよければ他人はどうなろうが関係無い、といったサイコパスならではの、フェイクで嘘まみれな「愛」なんてもう二度とごめんだ。
僕らが本当に欲しいのは、嘘偽りとは一切無縁な、純度100%の本物の愛。
それ以外の「愛もどき」なんて、きっぱりと受け取り拒否でOKだ。


それにしても、あの頃の僕らはあんな奴らに一体何を期待していたのだろうか。
所詮、こちらがどんなに誠意を尽くしたところで、悪臭プンプンの汚物を平気で投げ返して来るようなろくでなしでしかなかったのにね。


今、あなたの心にはぽっかりと巨大な空洞ができているはずだ。
これからは自らの力でその空洞を埋めていこうじゃないか。
持ち前の豊かな共感力と慈悲心とをフル稼働させて、壊れてしまった部分を補修していこうよ。
少しずつで構わないから。


大丈夫。きっとできるよ、あなたなら。
だって、共感力や慈悲心といった素晴らしい性質は、最初からあなたの中にちゃんと備わっていたのだから。
あいつと出会うずっとずっと前から、変わることなく...ね。


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