2019年3月20日水曜日

恥 ~穴があったら入りたい~

喪失の悲しみを乗り越えていけ、と口で言うのはたやすい。
だが、実際はきれいごとではとても済まされぬ、しんどい作業の連続だということが、体験した人ならばすぐにわかる。
それでもようやく行く手に一筋の光が見えてきた。
まだまだ気を抜くわけにはいかないが。


この段階では、被害者が【恥の感覚】に責め苛まれることが多くなる。
かつての自分自身、そして粉々に砕け散った関係を振り返るたびに、恥ずかしさで胸がつぶれそうになるのを感じる。


なぜ自分はあいつの前であそこまで卑屈になれたんだろう。

「許して、お願い」
「私の言い分も聞いて」

あの情けない自分の姿を思い返すたび、顔から火が出るような恥ずかしさを覚える。
あれほどにまで自分で自分の魂を踏みにじり、ズタズタに傷めつけるような行為ができたなんて、とても信じられない。


しかもあなたは、耳を傾けてくれそうな人がいれば誰彼構わず捕まえて、切々と身の潔白を訴え続けたのだった。
「ねぇ聞いて聞いて、私は悪くないんだってば!」...と。


幾度も頭の中でリハーサルしておいた「解説」、つまり「状況が変わった、もう自分とあの人とは関係無い」というあなたの側からの公式見解だけは、何としてでもみんなに伝えておきたかった。
だから、会う人会う人に破局へと至った経緯をしゃべらずにはいられなかったのだ。


当然、締めの言葉は決まってこうなる。
「最初は『完璧なパートナー』って思えたんだけどね。でも、そうじゃなかった。あの人サイコパスなんだよ。私、虐待されたの。」


これ、大勢の人がついはまりがちな落とし穴なんだよね。
サバイバーの話を聞いても、同じように引っ掛かった人が少なくなかったよ。
どこがまずいかわかるかい?


あなたはいまだに

「なんとしてでも他の人からの承認を得なければ!」

という強迫観念に囚われているんだよ。
あいつから離れてもうかなりの月日が経っているにも関わらず、だ。


右と言ったかと思えば左。白と言ったかと思えば今度は黒。
常にフラフラと揺れ動き、一箇所に留まることなど決してあり得ない。
サイコパスとはそういう人種だ。
かつてのあなたにもあったよね。
奴の顔色を絶えずうかがい、やることなすことにいちいち振り回されていた時期が。


ならばある程度は仕方ないのかもしれない。
当時はあいつが何か言うたびに、あなた自身の自尊感情も上へ下へと激しく揺れ動いていたんだろう?
人の顔色をうかがい、他の誰かに同意してもらうまで落ち着かない、といった悪い癖がいまだに抜けきれないのは、その影響かもしれないね。


承認欲求というのはなかなか厄介な代物(しろもの)だ。
へたに放置して肥大化するに任せてしまうと、後々「穴があったら入りた」くなるような大恥をかくことになるかもしれない。


特に、普段から人とあまりつるむことが無く、前向きに生きている自分のことが好き、といったタイプの人達は注意が必要だ。
後になって恥ずかしい思いをするのが嫌ならば、口は災いの元、しゃべり過ぎは厳禁、と肝に銘じておこう。


他の誰かに同意してもらわないと落ち着かない。
思い切って次の一歩を踏み出すことができない...。
もし、あなたがなかなか前に進めないでいるのがネガティブな思い癖のせいだとしたら、これは問題だよね。
できるだけ早くに捨て去るのが賢明じゃないかな。


サイコパスとの遭遇は、あなたの人生最大の汚点となってしまった。
あいつと出会うまでは人生もそこそこ順調だったのに、突然巨大な黒雲に覆われたかのように全てが暗転。あれから何もかもが変わったよね。


もし、あなたの人生を袋いっぱいのビー玉にたとえるとしたら、今はビー玉が袋からこぼれ出て床一面に散らばってしまった状態、と言えるだろう。
思考も感情もあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
まるで収拾がつかない。
一体いつになったら先の見通しが立つようになるのだろうか。


だけど、そんな状況も永遠には続かない。
いつかは必ず終わりがやって来る。


これからのあなたは、こぼれ落ちたビー玉を一つ一つ、元の袋に収めていくという作業に専念することとなる。
四方八方へと散らばった人生だけれど、ゆっくりと、何ヶ月という長い時間をかけながら、一つにまとめていけばいいんだ。
自分の身に起こった一連の出来事についても、当時のあなたが周囲の目にどう映っていたかも、少しずつクリアーに見えるようになっていくはずだ。

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済んだことは済んだこと。
くよくよ悩んでみたって、今さらどうにもならないよ。
「もういいんだよ」と自分を許し、前へと進もう。
サバイバーの誰もがそうやってこの苦境を乗り越えてきたんだ。


そもそも、あなたに関する事柄にしつこくこだわり続けている人なんて、あなた以外に誰一人としていないんじゃないかな。
いきなり何を乱暴な、と言われそうだけど、ちょっと考えてみて欲しい。
【他の人は大して私のことなんて気にしちゃいない】
おごり高ぶり、いささか自意識過剰気味となった心にとって、これほどよく効く鎮静剤が他にあるだろうか。
そう。世間の人々は、あなたの身の上話などこれっぽっちも気にかけてはいないよ。


人は誰でも心の内側に自分だけの戦場を隠し持っている。
そこで繰り広げられているバトル(闘争)の種類や性質は人によって多少は異なるかもしれない。
でも、一度始めたバトルは最後の最後まで各自が責任持って闘い抜かなきゃいけない。
みんな自分のことだけで手一杯、となるのも当然さ。
好き好んで他人の人生に首突っ込む暇人なんて、そうそういやしないよ。



嘘だと思ったら確かめてごらん。
あなたがうっかり口を滑らした過去の恥ずかしい話、一体どれだけの人が一週間経っても覚えているだろうか?
ほとんどの人はきれいさっぱりと忘れているんじゃないかな。
...あなた自身がわざわざ話を蒸し返す、といった野暮なことをしない限りは。



目指すべきは「今、目の前にあるこの現在」に全力でもって向き合うこと、だ。


これから先、うれしいこと、素敵なことが次々とあなたのところへやって来る。
自分自身についても、そしてこの世界についても、新しい発見が次から次へと現れる。
今はまだ想像することすら難しいかもしれないけどね。



最後になるが、僕がビー玉探しのコツを伝授しよう。


それは、「思いも寄らぬところを探ってみること」。
「えっ、まさか!」と言いたくなるような場所をあえて見てみるんだ。


案外そういうところでひょっこりと見つかるものだよ、人生のビー玉って。


2019年3月13日水曜日

暗闇、そして新たな痛み

サイコパスという嵐が過ぎ去った。
しばらくの間は、人生もぱたりと動きを止めてしまったかのように感じられるだろう。


残されたエネルギーを必死に振り絞り、徹底的にリサーチ。
「やっぱりあの人、サイコパスで間違いない」との確信に至った。
それと同時に、壊れた自分の修復作業にも取り組まねばならなかった。
一体いつになったら周囲の世界が再び息を吹き返すのだろう。
少なくとも、本来のあなたらしさが戻ってくるまでは、そのような日が訪れることなど無さそうだ。


とはいえ、人生が一瞬でもその歩みを止めるなどということは、現実世界にいる限りまずあり得ない。
生きていれば誰だって辛い目に遭うし、嫌なことも起こる。
友達や家族の死は容赦なく訪れるし、人間関係も壊れる時は壊れる。
可愛がっているペットの死や、病の苦しみだって決して他人事ではない。


人生に苦しみや痛みはつきものだ。
誰が何と言おうと、この普遍的真理からは逃れられない。


ただ、サイコパスとの体験を経た後では、苦しみや痛みに対しての反応が以前とは違ったものとなるかもしれない。
辛いことや不快なことが起こると、心がすぐさまブーメランのようにあの頃の記憶へと舞い戻る...。
このパターン、一度はまるとなかなか抜け出せないんだよね。


ぼやきたくなる気持ち、わからなくもないよ。

「あんなサイコパスに出会ってさえいなければ、もっと上手に乗り切れているはずなのに。」

うーん。
それはどうかな。
この、過去へ過去へと舞い戻るブーメランパターン、長引かせることでかえって自分をみじめな立場へと追いやってはいないだろうか。
気に食わない出来事は何もかも一緒くたにし、「あのサイコパスと関わったせいで!」と強引に関連付けてはいないだろうか。


いい?
かつてのサイコパス体験と、今あなたが置かれている状況とは全く別個のものとして考えなければいけないよ。
両者の間には何一つ接点など無いんだ。
人間関係がこじれてくるとこうした記憶のブーメラン現象が特に起こりやすくなるから、気を付けなくちゃね。


あなたの前に気になる人が現れ、いい感じになってきた、としよう。
希望や喜びいっぱいの日々に、あとほんの少しで手が届きそう。
これでようやくサイコパスとの悪夢とおさらばできるかも...。


二人の仲は順調に進展しているかのように見えていた。
だが、あなたの期待もむなしく、相手との間には少しずつすきま風が吹き始める。

「ふん、あんなサイコパスと関わり合いになっていなかったら、きっと今頃は...」

思わず口をついて出るのは、あいつへの恨み節ばかり。


結局、その相手との関係がそれ以上に進むことはなかった。
別れが決定的となり、あなたはまたもや無力感に襲われ、ひどく落ち込む。
サイコパスのせいであなたらしさがじわじわとむしばまれていった、あの悪夢のような時期が再びやって来たようだ。

過去記事:「むしばまれていく、自分らしさ(1)」https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2015/03/1.html 】

サイコパスの破壊力を侮ってはいけない。
離れてからもう随分経つというのに、あなたの心の奥深いとこでしぶとく生き続けていたんだね。


僕としては、こうした状況下であなたを襲う無力感と、例のサイコパスとの体験とは切り離して扱うべきだ、と考えている。


あの体験をきっかけに、あなたの魂は生まれ変わった。
これは疑いようもない事実だ。
生まれ変わってからのあなたは、外部からの悲しみに対しての敏感さが以前と比べて格段にアップした。
だが、それは裏を返せば、ほんのわずかな悲しみに触れただけで激しく動揺し、簡単には落ち着きを取り戻せない、ということをも意味する。


「一体どうしたんだろう、私。情けない...。」
そう思う人もいるだろうね。
弱気で、めそめそばかりしている自分の姿に「なんて不甲斐ないんだろう」とイラつくこともあるかもしれない。
本当ならばもっと強く、もっとたくましい自分へと変わっていかなくっちゃいけない時期なのに...ね。


だけど、こうしたネガティブな感情エネルギーは決して無視してはならないし、押し殺してもいけない。
そのままじっくり観察していけば、実はその中にもっと大きな、もっと大切な目的が隠されていることがわかるんだ。

Image by Alexas_Fotos

過去にさかのぼってわざわざ嫌な記憶を掘り返し、脳内ドラマをリピート再生し、嫌な気分にどっぷり浸る。
これ、そろそろ止めてもいいんじゃないかな。
自分を解き放ってやりなよ。自由の身にしてやりなよ。
泣きたいのなら、大声出して好きなだけ泣けばいいさ。
愛のエネルギーは心の一番奥深い場所で封印せずに、外の世界へとどんどん出してやろうじゃないか。
癒えていない傷があるのなら、その愛のエネルギーを使ってきちんと治そう。
失われた物たちや人々に執着するのも止めようよ。
ほんの少しだけ振り返り、「さよなら」とそっと心の中でつぶやいたら、後は前だけ見て歩いて行こう。


身体はへとへと。でも、心は穏やか。
そんな今の自分に気付けているかな。
自分というちっぽけな枠組みを超え、もっと深いところに存在している「何か」と自分とが繋がっているような、そんな感じ。
少しずつではあるが、あなたの中にもそうした実感が芽生えつつあるのではないだろうか。


こうしたプロセスを経る前と経た後とでは、「喪の悲しみ」に向き合う姿勢がガラリと変わってくるのは当然だろう。
変化すること・イコール・悪化すること、と決めてかかるのはよそうね。
世の中には変化して良くなることもたくさんあるのだから。


もちろん、最初のうちは多少の居心地の悪さを覚悟しなければならない。
今までに体験したことのないようなパワフルな感情が押し寄せて来るのだからね。
こんな波、どうやって乗りこなせばいいんだろう。
コツをつかむまではなかなかしんどいと思うよ。


経験したこともない感情をさあ、扱え、といきなり言われたところで、すぐには上手くできないだろう。
難しそう、無理だ、と思った瞬間、つい昔馴染みの例の感情...「この先最悪の事態が襲ってくるんじゃないか」という恐怖心...の方へと心が自然に傾いていく。
そうなると「あのサイコパスさえいなけりゃ...」というネガティブ思考に絡め取られてしまうんだよね。


辛い感情・厄介な感情は、実地経験を積むにつれて少しずつ上手に扱えるようになるよ。
苦手意識も徐々に薄らいでいくだろう。
どんな感情であれ、湧き起こって来たものはとにかく一旦自分の中で受け止めてみよう。
しっかりと受け止められたら、より健全な目的に役立てられるよう、進行方向を微調整してやる。
準備が出来たら、自分の外へパーッと放出してやればいいさ。


大丈夫。
できるよ、あなたなら。



もう一つ、落ち込んだ時にぜひ思い出してもらいたいことがある。


こうした一連のサイコパス体験を生き抜いた今、「前よりも苦手になった」「以前はできたけど、あれ以来できなくなった」といったネガティブな面に目を向けがちなのは仕方ないと思う。

でも、逆に

「前と比べて簡単にできるようになった」
「以前よりもかえって得意になった」
「改善された」

など、あなたにとってプラスとなったことも探せば必ずあるはずなんだよね。
さぁ、いくつ数えられるかな。


サバイバーの多くがこんなところを挙げている。

・友人との仲が一層深まった 
・風通しの良い健全な人間関係だけが残った 
・自分の良いところを認められるようになった 
・他人と自分との間に境界線(バウンダリー)を引けるようになった 
・自分と人類全体とのゆるやかなつながりを実感できるようになった


ネガティブ感情やネガティブ思考って、坂道を転がり落ちていく雪玉みたいなものだよね。
はじめはごく小さかったはずなのに、ころころと斜面を転がっていくうちにその大きさを増し、気が付いたらもう誰にも止められないほどに巨大化している。


ネガティブ要素を無駄に肥大化させないためにも、時々は立ち止まる機会を設けよう。
自分がどれだけ成長したかをはっきりと認められれば、考え方も変わると思うよ。
焼け野原の灰の中から力強く立ち上がり、無事にここまで歩いて来れたんだよね?
本当によく頑張ってきたあなた自身を、精一杯ほめて、そしてねぎらってあげて欲しいんだ。


あなたは暗黒状態からの脱出に見事成功した。
もう怖がらなくてもいいんだよ。