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2019年9月18日水曜日

無邪気さの消失【3】

時が経つにつれて、あなたの中にはそれまでに一度たりとも経験したことのないほどの激烈な怒り、そして巨大な虚しさとがわき上がってくるだろう。
その怒りと虚しさに嘘偽りはない。正真正銘の本物だ。
だが、あなたは恐らくそれらを表現する術を知らない。
となると、後はただ途方に暮れるばかりだ。


とりあえずは周囲から期待され、求められている役柄、つまり「ハッピーでお気楽な私」という表向きの顔をそのままキープし続けるしかないのだろう。
下手に生の感情を露わにしたところで、多分誰一人として喜ばないだろうから。
本音はひとまず封印。それが一番無難だ。


しかし、心の奥深いところでは確実に変化が起こりつつある。
いよいよ光も消え失せてしまうのか、と危ぶまれたちょうどその時のこと。
突然あなたの中で何かがはじけ飛んだ。

「あの人たちが憎い!」
「もう、ムカついた!何なの、あの人たち!」
...あなたの中では今までずっと「友達」だと思っていた人々。
彼らに対してのいら立ちが急に抑えられなくなったのだ。
しかも、次から次へと噴き出してくる。


この時期に「友達」と会って時間を過ごすと、家に帰ってもなお頭の中でさっきの会話を再現しては
「あれって一体どういう意味だったのかな」
と考え込むことも多くなるはずだ。
一度その作業に没頭し始めたら、一時間や二時間なんてあっという間に過ぎ去っていく。


「私、心にも無いことばかり言ってたな」
...そうだね。確かに「あなたらしくない」発言はしていたよね。
しゃべりながらも薄々気付いていたんだろう?
今日も例によって「友達」連中は三度の飯よりも大好きな悪口大会で盛り上がっていた。
あなたも一応は彼らに調子を合わせていたものの、内心では「くだらない」と冷ややかな見方をしていたんじゃないかな。


ようやく光が帰ってきたね。
一瞬にしてあなたは正気を取り戻したのだ。
そうなれば、どうしても次の一言をつぶやかずにはいられない。
「違う!あんなのはユーモアなんかじゃない。だって全然面白くも楽しくも何ともないし!」


その瞬間、背筋にゾクゾクッと冷たいものが走っていった。
残酷な現実が稲妻のような激しさであなたを襲ったのだ。
「そうか...私、今までずっと、思いやりの欠落した人たちとばかりつるんでいたんだ...」


sethink@Pixabay

エネルギーが完全に枯れ果てた今のあなたは、まるで切れた電池のようだ。何かを始める気力など残っていない。
どう頑張っても力など出ないのに、今からロケットをドカンと打ち上げる作業に入らねばならない。今の心境はそんな感じだ。
一昔前だったら、何も考えず「好き!」という気持ちを全ての人に対して抱くことができた。
頭ではまだそうできたらいいな、と願っているものの、実際にはそんなの無理に決まっている。
みんな大好き、なんてセリフ、今じゃ口が裂けても言えない。



無慈悲な人々。
薄っぺらく、中身の無い人々。
そうした類の人々にはもうどうにも我慢ができない。
ここまで他人に嫌悪感といら立ちを覚えたなんてこと、今回があなたの人生で初めてではなかろうか。


例のサイコパスをなかなか忘れられず、甘酸っぱい感傷と共に思い出す時だって確かにあった。
でも忘れられなかったのは、別にあいつが「いい奴」だったから、ではない。
あなた自身が心に「光を持つ人」だったから、忘れ去るのが難しかっただけだよ。
あんな奴ではあるけれど、思い出はどうしても捨てられなかった。
それだけのことさ。

以前のあなただったら、悪を目の当たりにしても「臭いものに蓋」「見て見ぬふり」式の対処法を取ることにさほど違和感は覚えなかった。
所詮は二流三流なんだけどね、と気付いていながらも、他人が相手となれば称賛の言葉を惜しみなく送った。
そうすれば自分の点数が確実にアップするからね。



今となってはそれも過去の話。


ようやくあなたは自分の中にある光との和解プロセスに入りつつある。
もっとも、再び光に馴れ親しむようになったからといって、今すぐに幸福があなたの元に舞い込んでくるわけではないよ。
甘い期待は禁物だ。
もし、かつてのあなたが幸福感を感じていたとすれば、それはひとえに今は亡き「無邪気さ(innocence)」のおかげさ。
無邪気さがあなたの中で頑張っていい仕事をしていてくれたからなんだ。
やわらかで繊細な心が外敵に痛めつけられることがないように、周りをぐるりと取り囲んで防御してくれていたんだよ。


あなたは「傷ついた心を癒したい」って本気で思っているんだろう?
だったら、「無邪気さ」と、本当の幸福感との違いを理解した上で、両者をはっきりと区別できるようにならなければならない。
確かな識別力を養っていく必要がある。


かつてのあなたは、サイコパスや、いわゆる「友達」(実はあなたのことを糞味噌にけなしてばかりいたけどね。)と一緒にいた頃の自分は「幸せだった」と信じていたね。それが誤った思い込みであるとも知らずに。
よく考えてごらん。
当時、あなたは自分が心から幸せって言えただろうか?
幸せどころか、あらゆる点で人生が行き詰まり、壁にぶつかっていたじゃないか。
違うかい?


同様に、今はとにかく悲しさで心が押しつぶされそうだ、と感じている人もいるだろう。
だけど、「悲しい」からといって、あなたが「不幸せな人間だ」と確定されたわけじゃないよね?
むしろ逆じゃないだろうか。
あなたの人生は明らかに前よりも良い方向、幸せの方向へと向かっている。
確かに、心の中の光はまだまだ弱々しいかもしれない。
「もっと世界を楽しみなよ!」と誰かが励ましてくれたとしても、とてもそんな気分じゃない、というのが正直なところだろう。
毎日が辛く、しんどい。
仕方がないよね。今はそれ以外には何も考えられないかもしれない。


ただ、しんどいのは事実だとしても、何も永遠にもがき苦しみ続ける必要はないからね。
これは忘れちゃいけない。
あなたの心の中の光は、決して消滅してはいないのだから。
...いつかは必ず「時」が訪れて、再び表舞台に姿を現す日がやって来る。
今はその日をじっと待っているだけなんだ。


まだ頼りなく、一歩間違えばふっと消えてしまいそうな光でしかないかもしれない。
でもね、あなたが再び自信を回復し、他人と自分との間にしっかりとした境界線を引けるようになった頃には、あらゆることが変化していくよ。
大丈夫、心配しないで。
光はちゃんと戻るから。


愛。
霊性(スピリチュアリティ)。
そうした問題に対して、どのように向き合っていったらよいのだろう。
あなたもまた、自分なりの答を求めて今後も長い旅を続けていくはずだ。
そうこうしているうちに、光はますますその輝きを増していく。
いずれは誰一人として無視することなどできないほどに、心の中で大きな位置を占めるようになるんじゃないかな。


2019年9月11日水曜日

無邪気さの消失【2】

僕らの中からは以前のような無邪気さが消え失せてしまった。
残念ながらこれは事実だ。
僕らにはもう、絶えず他人を警戒し、片時たりとも気を抜くことができないような、そんな不毛な人生しか残されていないのだろうか。


いや、そんなことはないはずだ。


確かに無邪気さという性質は失われたかもしれない。
だが、それと引き換えに得られたものもある。
周囲の世界や人間関係を、より現実的な角度から冷静に見られるようになったじゃないか。
晴れてこうしたスキルを習得できたのだから、苦労した甲斐もあったというものだ。


もちろん、以前の僕らはこんなじゃなかった。
当時の僕らがやっていたのは、僕ら自身の中にある善良さというフィルムを、無意識のはたらきという映写機を使い、正面のスクリーン、つまり目の前に現れた人物の上に投げかけて作品を映し出す、といった作業であった。
これ、世間で言うところの「いい人」ほどやってしまいがちだ。
で、「ああ、この人もきっといい人に違いない」と早々に評価を下してしまう。


こうした心のはたらきは「投影(projection)」と呼ばれている。
多分、あなたにも思い当たるところはあるんじゃないかな。

https://pixabay.com

人の本性を見抜けるようになりたい。
あなただってそう思っているよね?
だったらまず、その人がどう振舞うのかをじっくりと観察する習慣をつけよう。
実際にどんな行動に出たか、に注目しよう。大事なのは言葉じゃない。行動だ。
そうすればその人の人となりについての情報はひとりでに浮かび上がってくるよ。
人物評価を下すのはそれから後でも決して遅くはない。



ね?
悪いことばかりじゃないよ。
サイコパス体験を経なければ、このような先々まで役立つスキルを身に付けるチャンスは得られなかったかもしれない。


最初の頃はとにかく悲しさで心が押しつぶされそうになるだろう。それ以外の感情はほとんど湧かない。
そもそも、無邪気さが完全に自分の中から消え去るまでの期間は、心の内側で何が起こっているのか、自分でもよくわからないはずだ。
なくなってはじめてその存在に気付く。
あなたにとっての無邪気さもまた、そういう類の性質だったようだ。


これまで虐待経験を無事乗り越えた人々(サバイバー)にいろいろと話を聞いてきたけれど、次のような感想を漏らしている人が案外多かったように思う。

【悲しみや怒りといった感情を、どうやって外に向かって表現していいのかがわからない。】

いやな顔一つせず、常に明るく、他人のために走り回っている便利屋さん。
生まれてこの方ずっと、家族や周囲の人々からはそうした役割を期待されてきた。
仕事をこなしていく上で、生々しい感情なんてものは邪魔でしかない。
湧いてきたら、即、封印。
彼らにとって、それはごく当たり前の対処法だった。


やがてこうした人々の内面世界は

【誰にでもきっといいところがあるはずだ。 短所ではなく、その人の長所に目を向けてあげよう】

といった「性善説信仰」にじわりじわりとむしばまれていく。
その思い込みは日に日に強まるばかり。一向に衰えることはなかった。
目の前で展開されている光景がどれほど醜く、そして忌まわしいものであってもなお、その頑固な性善説信仰はびくともしなかった。
「欠点ではなく、むしろ長所に着目しよう。」
これがあなたにとっての金科玉条となったのである。


そして遂にサイコパスが登場する。


「どうか良い方へと変わってほしい」
もともとは光輝く「性善説」に満ち満ちた心の持ち主だった、あなた。
持てる全エネルギーを注ぎ、身を粉にして奴のためにさんざん尽くしてみたものの、結局あいつは何も変わらなかった。変わるどころか、その傍若無人ぶりはますますエスカレートしている。
これほど手強い相手に会ったのは生まれて初めてだ。


それでもあなたは諦めることなく、奴に振り向いてもらいたくて、必死の努力を続けた。
少し前に書いた「認知的不協和」という現象も、ちょうどこの時期に生じてくる。
何をやっても、どれだけ尽くしても、あなたの祈りが奴に届くことはない。
全てがむなしく空回りするばかりだった。

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【*注:参考記事 「認知的不協和の意味と例」より

「人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。これを認知的不協和と呼びます。そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。」


論理的思考力と論理的な討論 議論 ディベート ディスカッション のHP(http://ronri2.web.fc2.com/index.html)より引用させていただきました。】



【明らかにダメな相手なのに、無理やり良い相手であるかのようにこじ付けて自分を納得させる】。これも立派な【認知的不協和】と言えます。


~いかにもありそうな話(フィクション)~
「彼、私の誕生日には泊まりでどこか旅行に行こうね、ってあれほど言ってくれたのに。LINEも既読スルーで、もう一週間も音信不通。仕事、忙しいのかな...彼、新プロジェクトの件ではすっごく上司から期待されてるって嬉しそうに話してたもの。ここで頑張らないと後が無いから、とも言ってた。
...そうだよね、忘れられたわけじゃないよね。仕事のことで頭がいっぱいなんだと思う。ここはひとつ、彼の大変な立場を理解しなくては。待っていれば必ず連絡が来るだろうから、黙って応援することにしよう。」
ーーー>その後間もなくSNS上に流れてきた写真で、彼女はこの彼氏が別の女性とハワイで楽しい休日を過ごしていたことを知った。
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【理想化】、そして【脱価値化】
天国から一気に地獄、地獄からまた天国へ、といった具合に、両極端の状態を何ヶ月にもわたって行き来させられたことで、あなたの精神は徐々に平衡感覚を失っていく。
一体相手の真意はどこにあるのだろう。
先の展開は全く読めない。



「愛してるよ」
あの人の口から確かにこの言葉を聞いた。
諦めるのはまだ早い。望みを捨てずにいよう。もう少し待ってみよう。
そう自分に言い聞かせたことも、ただの一度や二度ではなかったはずだ。
だが、当時、あいつがどのような行動に出ていたか、思い出して欲しい。
果たしてそこに愛情はあっただろうか?
奴の言っていることとやっていることとの間には、深く大きな溝がありはしなかっただろうか?


罵倒。
非難。
浮気。
嘘。


そもそも、二人が本当に愛し合っていれば、こうした負の要素が間に割って入ることなど、まずあり得ない。
愛あるところに「もう死んでしまいたい」という自殺念慮など生じるはずもない。
心傷ついた人を嘲り、貶めるだなんて、とても愛ある人のすることとは言えない。
あなただって心のどこかではちゃんとわかっていたんじゃないかな。
「この人の中には愛なんてない」ってことを。


そのような辛い体験が積み重なって、一人悶々と思い悩む時間が増えていけばいくほど、怒りの感情があなたの心の奥深くに堆積していく。
怒りだけではない。
うつ状態もまた、日を追うごとに悪化の一途を辿っている。


身も心もサイコパスにすっかり食い尽くされてしまったかのような、そんなあなた。
かつてはまばゆいほどの輝きを誇っていた光も、今や風前の灯と化してしまったようだ。
あなたの強力な光をもってしても、あいつを改心させることだけはできなかった。
このままさらに心労が続けば、遅かれ早かれあなたの方が相手の闇にぱっくりと呑み込まれてしまうに違いない。



もはや誰の目にも明らかだ。
あなたから放たれる光の勢いは、日一日と弱まりつつある。
一体この先、どこまで持ちこたえられるのだろうか。





2019年6月5日水曜日

無邪気さの消失【1】

無邪気さの消失

症状:深い悲しみ、哀惜の思い、寂しさ、現実受容、世界を新たな角度から見直し、希望、知恵のひらめき。

悲しみと鬱状態。
この二つを同じものとして扱ってはならない。


絶望と恐れとに乗っ取られ、精神が麻痺したような状態。
それが【鬱状態】だ。


一方、【悲しみ】という言葉からは、そこはかとなく美の香りが漂っては来ないだろうか。
ところが【鬱状態】の方にはそれが無い。
美的要素があるか、無いか。
ここに着目すれば、【悲しみ】と【鬱状態】とを区別するのはそう難しくはない、と僕は思う。


今やあなたの魂は再び息を吹き返し、新たなる一歩を踏み出そうとしている。
この時期のあなたには【鬱状態】よりも【悲しみ】という言葉の方がむしろ似つかわしい。


嘘偽りの無い、本物の【悲しみ】が次々と波のように押し寄せて来る。
そんな自分に気付けたら、「よくがんばったね」とねぎらってあげよう。
ここまで来ればもう大丈夫だ。
長い長いトンネルの出口はすぐそこにまで迫っている。光が見えてくるのも時間の問題だろう。


空っぽで不毛な心にも、しくしくと痛む古傷にも、そろそろさよならしていい頃だ。
少しずつで構わないから、心の準備だけはしておこう。
いつ何時、次のステージに移行せよとの合図が出ても慌てなくて済むように。


あなたの「ソウルメイト」は死んだ。
嘆いてばかりいても仕方がない。今さらどうにもできやしないのだから。
後ろばかり振り返るのもいい加減止めにして、歩かなきゃ...。
覚悟を決めて、あなたはようやくここで自分と向き合う。
そして再び喪の哀しみへと引き戻される。
「二度と戻って来ない」のは、あいつだけではなかった、と気付いたからだ。
そう。【一昔前のあなた】もまた、永遠にこの世から消え去ってしまった。


以前は暇さえあれば奴のことばかり考えていた。
なのに、ある日を境に今度は「失われてしまった自分」の方へと急に関心が向き始めた。
───サイコパスと出会って、別れて、一体どれだけのものを失ったのだろうか。
幾度も幾度も同じ疑問文が頭の中を回り続ける。


ほとんどのサバイバーは口を揃えたかのようにこう答えるだろう。
「たくさん」。

友人関係。
お金。
仕事上のチャンス。
自尊心。
健康。
人間としての尊厳。
人により「損失」の内訳は違うけど、相当の痛手を負った、という事実はサバイバー全員に共通している。


だけど、上に挙げたような「損失」にしたって、実はあなたが思うほどダメージは大きくないんじゃないかな。
なぜかって?
後から取り戻そうと思えば、どうにかして取り戻せる可能性のあるものばかりだからさ。


あなた自身が一番根っこの部分へと立ち返り、本来のあなたらしさを取り戻していくにつれて、全てが「収まるべきところに収まる」はずだ。
だから焦らない方がいいよ。
バラバラになっていたパズルのピースも、本来の場所に戻りさえすればぴたっときれいに収まって、最初からずっとそこにあったかのように見えるだろう?
あなただっていつかはそうなる。自然に事が運ぶようになる。


以前と比べて明らかに良くなる部分もあるだろう。
その最たるものが対人関係だ。
少し前だったら考えられなかったような人々と親しくなるかもしれない。
付き合う人々の質は明らかに変わってくるだろう。


だが、たった一つだけ、あなたがどう頑張ったところで絶対に取り戻せないものがある。


かつてのあなたが持っていた無邪気さ(innocence)だよ。

Image by Free-Photos at Pixabay

断っておくが、僕はこの

「無邪気さ(innocence)」

という単語に

「無知(ignorance)」「世間知らず(naivete)」

のような、相手を蔑むようなニュアンスを込めるつもりは全く無いからね。
どうかそこだけは誤解しないでもらいたい。

【訳注: innocenceは純真無垢、天真爛漫、汚れの無さ 
...といった訳が当てられているように、プラスイメージの強い単語です。
「邪悪さとは一切無縁=>邪気が無い=>無邪気」 
と理解すればいいでしょう。】

ここでの「無邪気さ(innocence)」という単語は

【人間ならば誰だって、ひとつぐらいは長所があるものだ】という性善説に基づく思い込み
という意味で理解してほしい。
相手の言動をできるだけ良い方に解釈してあげようとする善意
と置き換えることもできるだろう。


誰かを信じ、愛し、身も心も全て惜しみなくその人へと捧げ尽くす。
それが「無邪気な人」にありがちなパターンだ。

【過去記事:「信じやすい心」 「「良く言えば柔軟性に富む、悪く言えば流されやすい」。
そうした傾向が自分の中にある、という事実は覚えておこう。

実は、あなたのような人達は、他の性格タイプと比べても催眠による暗示や、他者からの意見といったものからの影響を相当受けやすいんだ。一つ間違えば命取りとなるからね。気を付けて欲しい。」
https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2018/10/blog-post_19.html


様々な修羅場をくぐり抜けたことで、あなたはすっかり変わってしまった。
以前のようなおめでたい人間観からは卒業だ。


人を疑うということを知らず、まるで無邪気が服を着て歩いていたような人。
そんなかつてのあなたは、もう二度と戻って来ない。