「日にち薬は効き目一番」(※注)
(※注)「日日薬(ひにちぐすり)」の意味 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/264268/meaning/m0u/
Image by Angelo Rosa from Pixabay |
これ、おおむね正しい、と思う。
さすがは昔から使われてきた言い回しだけのことはあるよね。
だが、壊れた心が回復するまでの道のりが平たんで、見通しの良い一本道となることなどめったにないものだ。
このまま何事も無くゴールまでうまく逃げ切れるだろう、なんて甘い読みをしていると、こっぴどく裏切られることもあるだろう。
中でもよく見られるのは「度忘れ」という現象だ。
例の相手と付き合っていた頃どれほどひどい思いをしたか。
どんなに辛かったか。
そうした記憶だけが不思議にポッコリ抜け落ち、また、思い出そうとしてもなかなか思い出せない...。
実際、そうした経験をする人は少なくないのだ。
これは「選択的記憶喪失症」(selective amnesia)と呼ばれ、人間に生まれながらにして備わっている心のメカニズムのひとつとされている。
辛い記憶を「選択的に度忘れ」させることによってその人を守り、治癒・回復させる方向へと誘導していく。
人間の心には、こうした大切なタスクを同時に処理できるだけの優れた機能がはじめからインストールされているのだ。
そのような時、あなたは特に気を引き締めていかなければならない。
でないと、「許し」についていろいろと思いを巡らせた挙句、別れたあいつに自分から連絡を取って「ランチでもどう?」なんてわざわざ誘う、なんて暴挙に出かねないからね。
...もう一度直接会って話せば、自分の中のモヤモヤもきれいさっぱりと解消できるんじゃないか。きちんとケジメを付けられるんじゃないか。
そんな間違った期待を抱き始めるようになったら、危ない、危ない。
頼むよ。
それだけはやらないで欲しいんだ。
それだけはやらないで欲しいんだ。
一度相手にこちらからすり寄って行くような真似でもしようものなら最後、またもや悪夢の無限ループ、となるのがオチだから。
相手の術策にまんまとはまり、ズタボロに虐げられ、さらなる深手を負うことだけは間違いない。
相手の術策にまんまとはまり、ズタボロに虐げられ、さらなる深手を負うことだけは間違いない。
ようやく心の安定を取り戻した今のあなた。
人はえてしてこんな時、心の安らぎと楽観主義という色付きフィルターをかぶせたレンズでもって、過去の人間関係を見てしまいがちだ。
映ったイメージがどれほど良く見えようと、所詮それはあなたの内面の状態を【投影】したもの(projection)に過ぎない。
今の自分の状態が良好だからといって、過去の人間関係もつられて状態が良くなる、なんてことは残念ながらあり得ない。
だから自分の記憶をごまかしちゃだめだ。
真実を見失ってはいけない。
映ったイメージがどれほど良く見えようと、所詮それはあなたの内面の状態を【投影】したもの(projection)に過ぎない。
今の自分の状態が良好だからといって、過去の人間関係もつられて状態が良くなる、なんてことは残念ながらあり得ない。
だから自分の記憶をごまかしちゃだめだ。
真実を見失ってはいけない。
誤解なきように言っておくけど、僕にはそうした心の色付きフィルターが100%悪だ、と決めつけるつもりなど毛頭無いからね。
これはこれで大切な役割を果たしているんだ。
平和、安らぎ、楽観主義...といった色の付いたフィルターが僕らの心に備わっていたおかげで、頭の中をひっきりなしにピュンピュン飛び交う矢のような激しい思考活動にも圧倒されることなく、しんどい時期を乗り越えてここまでどうにか生き延びて来れたのだから。
これはこれで大切な役割を果たしているんだ。
平和、安らぎ、楽観主義...といった色の付いたフィルターが僕らの心に備わっていたおかげで、頭の中をひっきりなしにピュンピュン飛び交う矢のような激しい思考活動にも圧倒されることなく、しんどい時期を乗り越えてここまでどうにか生き延びて来れたのだから。
暗かった気分が次第に晴れやかになっていく。
もちろん、これは喜ばしいことではあるけれど、その良い気分を【即、行動に移したくなった】時には、二、三回深呼吸してよくよく考えた方がいい。
自ら地獄へと再び舞い戻るような無謀な真似だけは絶対に避けなくっちゃならない。
自ら地獄へと再び舞い戻るような無謀な真似だけは絶対に避けなくっちゃならない。
ここまでの回復のプロセスを振り返ってみてごらん。
全てはあなた一人が自身の努力でもって成し遂げてきた偉業だ、誰の力も借りずに自分だけでやってきた、ってことがよくわかると思うよ。
あなたの気分が良くなりつつある理由、それはあなたがサイコパスときっぱりと絶縁し、以来、あいつとの接触を徹底的に避けているから、だろう?
そこを勘違いして、
「そろそろきちんと二人の関係にきっちりとケジメを付けよう、大丈夫、今ならうまくやれるはず。」なんて早まった行動に出てはいけない。
取返しの付かないことになるよ。
「そろそろきちんと二人の関係にきっちりとケジメを付けよう、大丈夫、今ならうまくやれるはず。」なんて早まった行動に出てはいけない。
取返しの付かないことになるよ。
またあいつと関わり合いになるっていうのかい?
悪いことは言わない。やめときなよ。
あの不毛な、苦しみばかりの日々が再度繰り返されるだけだから。
この本の前半で長々と書いたような嫌な出来事ばかりの毎日がリピート再生されるのなんて、もううんざり、だろう?
この本の前半で長々と書いたような嫌な出来事ばかりの毎日がリピート再生されるのなんて、もううんざり、だろう?
「加虐者(abuser)を許すべきか、許さざるべきか」。
この問題については、本書の最終章でより詳しく僕なりの見解を述べるつもりでいる。
この問題については、本書の最終章でより詳しく僕なりの見解を述べるつもりでいる。
あなたには引き続き
ノーコンタクト/絶縁
を徹底的に貫き通してもらいたい。
自分のことを優しく扱ってあげようよ。
これ以上辛い目に遭う必要なんてないじゃないか。
これ以上辛い目に遭う必要なんてないじゃないか。
ノーコンタクト。
今はそれさえ守れればいいんだ。
後のことは後で考えるとしよう。
Psychopath Free (Expanded Edition): Recovering from Emotionally Abusive Relationships With Narcissists, Sociopaths, and Other Toxic People
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今まさに心の安らぎと楽観主義というフィルターごしに過去を見ています。
返信削除別れから9カ月がたちますが、知り合いからつい先日彼がステージ4の肺癌だと診断されたと聞きました。
正直それを聞いた瞬間ざまあみろバチが当たったんだと思ってしまったんです 最低ですよね。
でもその後なんとも言えない気持ちになってしまって、連絡をしてみようか、何か手助けできないかと考えるようになりました。
ふと涙が出て、自分でも驚いています。
彼なら癌だと嘘をつくくらいの事はしかねませんが、知り合いは彼の息子さんから聞いたとのことで本当の話のようです。
どうしたらいいか考えて考えて踏み止まってはいますが…
匿名さま。
削除距離を置かれてから9か月、ですか。まだ完全に傷口がふさがったとも言えない時期でしょうに、相手の重病の知らせを受け取る、という難しい局面を迎えていらっしゃるのですね。
これは人によって見解の分かれるところでしょうけど...
私個人としては、
「バチが当たったんだと思ってしまった」あなたは
決して「最低」ではない、と思いますよ。むしろ人間味があって好感が持てます。
人として、時にはどす黒い、他人には言えないような感情を抱くことがあるのは自然だと思いますよ。(言いふらしたりしなけりゃいいんです、要は。)
許し難い仕打ちを受けて別れたのであれば、なおさらです。
そうした抑えがたい感情までむりやり「除菌滅菌」し、クリーンな状態に心を保とうと頑張りすぎてしまうと、かえって大きな問題へとつながるような気がしますけどね。
大事なのはそうしたどす黒い感情を「なかったこと」にしないこと、存在自体を否定しないこと、ではないでしょうか。
今回、相手の重病という知らせがあったおかげで、
「やっぱりまだ『ざまあみろ』って反応の方が『気の毒に』よりも先に出るんだな。」と気付くことができましたよね?
まだまだ完全回復に至るまでには時間が必要だ、ということ、改めておわかりいただけたのではないでしょうか。
「もしかしたらこれで最後になるかも」
と思うと確かに心がぐらつきますよね。それはよくわかります。
でも、ジャクソンさんの言う通り、ここはじっと我慢し、自分から距離を縮めるようなことはせずに沈黙を守り続けるのが正解ではないでしょうか。
心の問題に関してはド素人に過ぎない私でありますが、匿名さんが今「踏みとどまるべき」と考える理由はあります。
今回の相手の病状はあくまでも「周囲の人」から伝え聞いたことにすぎないこと。
(ご推測の通り、たとえ息子さん経由といっても、話を膨らませている可能性はゼロではないでしょう。)
相手から直接、匿名さんに「会いたい」「話がしたい」との意思表示が特にあったわけではないこと。
仮に会ったとしても、相手から感謝の言葉・好ましい反応が返って来る保証など一つも無い。かえって嫌な思い出が増えてしまうだけかもしれない。
病の床にある人の誰もが、かつての知り合いに会いたいと思っているわけではないこと。
(弱った自分を見られるのが嫌、という人は世の中に大勢います。先日亡くなった萩原健一さんもそうでしたよね。)
数か月前の記事になりますが、「辛く惨めだった頃の自分を忘れられるものならば、いっそ忘れてしまった方がいいんだ。少しでも気持ちが楽になるのであれば、過去の出来事の解釈を多少工夫することも止むを得ない。」というジャクソンさんのご意見、もしよかったらお読みになってくださいね。
http://sayonara-psychopath.blogspot.com/2019/02/do-over.html
死を目前にした人間誰もが「過去を悔いて、善人化する」わけではないことは、匿名さんも充分ご理解されていると思います。
(老いた身内の介護に当たられている方や、医療・福祉の現場にいらっしゃる方ならばよくご存知でしょうけど。)
お辛いでしょうが、ここはひとつ心を鬼にし、「安らぎと楽観主義」のフィルターを一旦剥ぎ取った上で、ご自分の幸せのために一番必要なこと・「もうこれ以上関わらない=ノーコンタクト」を選ばれることをおすすめいたします。
病の床にある人に連絡も取らない、言葉もかけない、何の心遣いも示さない。
もしそれが、かつてあなたに危害を加えた人であるならば、そうした決断は決して「非情」でも「人でなし」でもない、と私は考えています。
罪悪感を覚える必要はありませんよ。
今回迷われているのは、あなたの中に頑固に居座る
「いい人でありたい私」
の部分が突然の知らせに動揺し、
「こういう心細い時に連絡もらったら、私だったらうれしく思うけどなぁ。」と、ご自分の感じ方を一方的に相手に投影しているのではないでしょうか。
万が一勇気を出して再会に漕ぎつけたとしても、相手は「何か用あるの?」程度のつれない反応しか示さないかもしれませんよ。
相手から一言でも二言でも詫びの言葉が引き出せるかも、などという期待も、おそらくは見事に裏切られるでしょうね。
(キツイ言い方で申し訳ありません。でも、このブログの読者層である「いい人でありたい人々」にはそのぐらい強い言い方をしないと伝わらないと思いますので...。)
もし、「放置する」だけではどうにもこうにも自分の気がおさまらない、とおっしゃるのであれば、心の中でその人の魂の平安を静かに祈る、というのはいかがでしょうか。
病状が穏やかになり、苦しみが少なくて済むように祈る。相手本人にも、他の誰にも知らせる必要はありません。
そっと一人で祈ればいいんですよ。
それで充分だと思いますけどね。
まずはご自分の幸せを第一に考えてくださいね。
これ以上のガッカリ体験、これ以上の不毛なやり取りを重ねることは、あなたのためにならないと思いますよ。
匿名さんが一緒にいてあたたかい気持ちになれる人、元気になれる人、楽しい未来を共有できる人。
そういう人との縁・出会いを最優先したいと思うのであれば、もう機能していない過去の人間関係はばっさりと切り捨てていくことも必要だと思いますよ。人が一生で使える時間は限られているのですからね。
長々と失礼しました。
これ以上ない、有難いアドバイスに涙が出ました。
返信削除ぐちゃぐちゃした私の気持ち、とまどいも罪悪感も芽生えたかすかな期待も悪い癖も
自分でもよくわからなかった感情を全て見通されズシンときました。
いい人でありたい…確かにそうです。
私なら心強いなぁ嬉しいなぁって
彼が死に瀕してもなお善人になるわけがない人種だと言うことは、関わってきた私が一番身にしみてわかっていたはずだったのに投影していました。
あんな目に合ってもなかなか変われない私のように
彼もまた変わることなく逝くのだと思います。
懲りもせず、また傷つくところだった私を救っていただきました。
本当にありがとうございます。
感謝します。
匿名さま。
返信削除随分とぶしつけな物言いをしてしまいましたが、こちらの言わんとすることを理解していただいたようで大変感謝しております。
私もまた、とある「羊の皮を被った狼人間」の消息が定期的に耳に(目に)入ってくるために、否応なしに「定点観測」させられているような状況にあります。
(まぁ、個人的な交際関係ではなかったので匿名さんのケースとは受けたショックの度合いはかなり違いますけどね。)
で、抱く感想は毎回型で押したように同じです。
「本当にどうしようもないな。
一度死んでも、二度死んでも、この人物の本質は少しも変わらないだろう。
どれだけ周囲を傷つけようが、寄せられた信頼を裏切ろうが、これっぽっちも良心の呵責なんて覚えちゃいない。
見るもの聞くもの全てを自分の都合のいいように脳内変換。キレイゴトまみれの嘘でもって自分も人も騙すんだ。
得意技はお涙ちょうだいの身の上話。
これから先も、何も知らない通りすがりの人が次々と騙され、そして利用されていくんだろうな。
くやしいけれど、もうわれわれには何もできない...。」
おっしゃる通りだと思いますよ。
こういう人は目の前に死が迫っていようがいまいが、「変わることなく逝く」のでしょうね。
ジャン・バルジャン(レ・ミゼラブル)がミリエル司教の寛容さに触れて一瞬で改心し真人間になる...。
少なくとも、彼らにはこんな奇跡はまず起こりえないでしょう。あれはフィクションですからね。
でも、私たちは現実世界をたくましくサバイブしていかねばなりません。
汚く醜い、矛盾と不正だらけの現実世界を。
余計なストレスばかり抱えていては、身軽に動けませんからね。
今は過去から無事に逃げ切ることだけ考えていきましょうよ。
あなたの優しさ、献身、そして「良い人であろうとする」向上心は、どうかそうした美徳を受け取るに値する人々/動物/事物のために役立ててください。
あなたのことを人間以下の扱いしかできないような怪しからん奴なんて、人生からも記憶からも永久追放しちゃっていいと思いますよ。
今はゆっくりと養生なさってくださいね。
あなたの良さを真に理解してくれる人々との出会いが、これからもたくさんありますように。