スピ系自己愛~肥大するエゴ【後編】

スピ系自己愛・・・いかにして忍び込むのか


では、スピリチュアル・ナルシシズム(スピ系自己愛)がどのようにしてわれわれを蝕んでいくのかを、6段階に分けて順に見てみよう。


1.【選ばれし者】 
霊性を探求する途上で自分が『選ばれた』と信じて疑わない者は、ナルシスティック(自己愛的)な気質を目覚めさせてしまうことがある。校庭で自由に遊んでいたところを一人だけ呼ばれてチームメンバーに選ばれた、といった状況を想像すればわかるだろう。 
自分ひとりが【選ばれし者】となった時の、あの気持ち。 
あそこまで自分のプライドを満足させてくれるものなど、そうそうあるまい。

2.【狙うは師匠の座】 
ジェラルド・メイは「自分は神のようになりたい」といったセリフを口にする探究者のことは信用するな、と言う。
キリスト教徒だろうが、復興異教主義者【※注①】だろうが、はたまた実存主義無神論者だろうが、全ての探究者にこれは当てはまる。  
メイの言葉によると 
「恐怖に駆られた人々は、ただなすすべもなく犠牲者となることに甘んじることができない。代わりに、『人力と管理能力とを結集し、運命を出し抜こうとして』必死に悪あがきする」のだという。

【※注①:ネオ・ペイガニズムneo-paganismの訳語。以下、ウィキペディアより引用

『多種多様な現代の宗教的な運動、特にそれらがヨーロッパの前キリスト教的なペイガニズムの信条によって影響されたものを呼ぶのに用いられる包括的な用語である。』ウィッカ、ネオドルイド、黄金の夜明け団などのケルト系信仰などをベースとした教団・結社が有名。】

3.【目指せ優等生】 
悪徳にふける者も少なくない中で、その逆に非常に徳高い生活を送ろうとする者もいる。 
中には行き過ぎといった感のある人もいるが、彼らについてメイはこう語る。 
「人の役に立とうとする思いが痛々しいほどにまで前面に出過ぎている。その思いが災いして、かえって周囲が見えなくなっている」。

道徳経【※注②】からの賢明なアドバイスはこれだ。 
「聖人になどわざわざなろうとするな。 その方が、全ての人にとって百倍良いのだから。」
【※注②:中国・春秋時代の思想家・老子が書いたと伝えられる著作。「無為自然」の思想で知られる。】 

4.【霊的レベルの行き過ぎた強調】 
アメリカ人の倫理学者・ジェイムズ・ファウラーは、人間が霊的に成熟していくにつれてどのようにレベルアップしていくのかを研究し、公式化した。(信仰発達段階)

http://vancouversun.com/news/staff-blogs/atheists-can-be-spiritual-too

【参考記事:ファウラーの信仰発達理論がわかりやすく説明されている日本語記事です。https://blogs.yahoo.co.jp/fumi_0313/21952550.html 】

メイは、この理論がある程度正しいことは認めつつも、霊的レベルをそこまではっきりと区分けすることには賛成していなかったようだ。
同様に、ドン・ベックが考案した色分けされたらせん状の発達段階図【※注③】についても、もしメイが生前目にしていたら恐らくは難色を示したことだろう。

http://harsha4u.weebly.com/blog/spiral-dynamics-an-explanation-to-evolution-of-civilizations


人は、とかく自分を実際よりも階梯の上の方に位置付けたがる生き物だから。


【※注③:ドン・ベック(1943-)が、故・クレア・グレイヴズ(1914-1986、男性)の調査研究を元にまとめた「スパイラルダイナミクス」と呼ばれる発達理論。人類の文化と、個々の人間のどちらにも応用できるという。 
詳しくはこちらの記事を参照されたい。http://integraljapan.net/articles/sd_1.htm 】


5.【人を許せない】 
正義を求めること自体は間違ってはいない。
ただ、不正行為、特に自分に対して行われた不正行為をいつまでも忘れられない、となると、それはそれで問題となる。

メイは言う。「人を許せない人は、往々にして他の人々とのつながりを失い、怨恨と優越意識に囚われたままになってしまうものだ。」

心理学者のナンシー・マックウィリアムズも言う。
「不正行為にいつまでもこだわり続け、水に流すことのできない人。
彼らは、『用心深さが行き過ぎたあまり、ナルシシスト(自己愛人間)』化してしまった人である。」



6.【同胞愛】 

【孝行心(子供から親への愛情)】を高めることには特に異議を唱えないメイだが、ひとつ警鐘を鳴らしている。


「自分に対する敬意を更に煽り立てようとの下心を抱きながら、子供が親に対して抱くような「孝行心」を熱心に人々に推奨するような人がいる。


もし、その人達による人助けの行為が、自らの後ろめたい気持ちから発したものだとすれば、それは霊的な意味での「孝行心」とは呼べない。


むしろ「自己愛」と呼ぶべきである。


確かに、キリスト教でも仏教でも信徒には『慈悲の行為』が求められている。だが、あまりにも人助けにばかりエネルギーを注ぐ人は、かえって


『自分自身の体験を通じてのみ生まれる、人生の聖なる神秘と自分との間をつなぐ絆を作るという、貴重な機会を失してしまう』
と、メイは主張する。


落とし穴をうまく避けるために

上のリストを読み、「どうすればいいんだ。これじゃ何をしても、どこへ行っても、スピリチュアル・ナルシシズム(スピ系自己愛)からは逃れられっこない。嫌でも出会ってしまうじゃないか。」と読者諸氏が思われたとしても無理は無かろう。事実、その通りだと思う。


まさかという時に限って顔を出す。それが「自分かわいさ」、すなわち利己主義というものだ。


外から見れば霊的に徳高い仕事に就いている人でも、『究極的な、無条件の愛』(メイはこれをギリシア語の「アガペー」と定義)にまで到達できてないことはよくある話だ。
到達どころか、逆にますます遠ざかっている場合だって決して珍しくはない。

メイは書いている。

「職務上、自分の価値が上がったり、壮大なイメージを身にまとうこととなった人の場合、そうした体験談...もしくは、そうした体験をどう乗り越えたか...といった話があたかも心理的に自分を守る鎧(よろい)として使われる恐れが出てくる。あたかも自分は霊的洞察を得たんだぞ、とでも言わんばかりに、その人にとって都合の良いように利用されかねない。」


われわれがスピリチュアル・ナルシシズムの罠をうまく避けるにはどうしたら良いのだろう。

メイは、「意志と霊」でさまざまな対策を紹介している。



Will and Spirit: A Contemplative Psychology
HarperCollins e-books (2009-03-31)



「意志と霊(原題・Will and Spirit)」が最初に世に出て、既に数十年が経ち、今では「マインドフルネス瞑想」はすっかりわれわれにもおなじみのものとして定着した。


本書において、彼は霊的探究を目指す人々に

【執着を手放すこと(non-attachment)】

の道を勧めている。

言うは易し、行うは難し。
確かに、その通りだ。


だが、われわれは現世での欲望へのこだわりを少しずつ弱めていくためには、【執着を手放す】以外に方法は無い。

「愛ある、親切な人になりたい」という欲望ですら、執着してはならないのだ。

****************

長くなりましたので、以下、結論部分を思いっきり大胆に要約しますと...。


  • スピリチュアル・ナルシシズム(スピ系自己愛)は、真の成長は自分の【外】からやって来るものだ、という事実を受け入れていないために発生する。その【外】は、「恩寵」「神」「人生経験」「天からの呼びかけ」などの形を取って現れるものであって、自分自身に起因するものではない。


  • 自分の中から湧いてくる衝動、欲望、信念を全て肯定し、それらに身を委ねるのは間違っている。ただし、自己愛に翻弄されている人の場合はそのような現象が見られる。

  • 良きものに身を委ねることと、悪しきものに身を委ねることの間には歴然とした違いがある。両者を識別できるようになること。
イエス・キリストも、ブッダも、人生の遅い時期になって生涯最大の霊的誘惑を経験した。彼らの後に続こうとするわれわれにも、きっとそうした誘惑は訪れる。その時に備えて、しかるべき「ガイド役」「旅の道連れ」を持て、とメイは言う。

  • 霊的探究を続けたい人には、何らかの【伝統】との接触を持った方が良い、とメイは勧めている。

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    盲信に陥らないためにも、いろいろな考え方を体験してみるのは悪くない。だからと言って「バイキングに行って、少しずつ料理をつまみ食い」するような行為をいつまでもダラダラと続けているのは、霊性の道にはふさわしくないばかりか、危険ですらある、とメイは警告する。


  • 自分は「無条件の愛」に身を捧げているのか。

  • それとも、「自我肥大」に溺れているのか。
この二つを見分けるには、  
【以前に比べて慈悲心が増しているだろうか。
世界へとより多く奉仕できているだろうか。】
と自分に問いかければ、最もはっきりとした答えが得られるはずだ。


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