2017年10月27日金曜日

陰湿な陰口 Covert Gossiping①



「ドラマめいた泥沼状態は嫌いだ」
と、サイコパス人間は言う。


だが、時が経つにつれてあなたは嫌でも気がつくはずだ。
あそこまでひどくドロドロした泥沼人生を生きてる奴らなんて、そうそうお目にはかかれない、ってことに。


もちろん彼らだって「別に好き好んで泥沼化させるわけじゃない」らしい。自分は全然悪くない、とも。
先方からの熱烈アプローチで付き合い始めたものの、実は性格悪いと後で判明、別れる前には全てがめちゃくちゃ。ひどいよね。理不尽だよね。

...それが彼らの言い分だ。


あなただって薄々気付いているだろう?
どうやら真相は全く違っていたようだ、ということに。


サイコパス人間は人々を煽って関係を泥沼化させ、敵対関係と競争という渦の中へと引きずり込んでいく。これはいつも変わらない。
巷でよく見る「ドラマクイーン」【注】との一番の違いは、サイコパス人間の場合、何をやるにしても「悪意が無い」かのように外部の人に見せつけている点、であろう。


【注: ドラマクイーンとは(WEBLIO辞書より)
英語のスラングの一種で、自分がドラマのヒロインであるかのように、大袈裟で同情を誘うような、感情的な振る舞いをする女性を指して、批判的に用いられる語。時に男性に対しても用いられると言う。】


こうしたらどう?と、さりげなく提案。
すると、自分と関わりのある人々が続々とぶつかり、大破、炎上。
本人はその惨状を安全な場所からじっくり見物。


僕がタイトルに「陰湿な陰口」【訳注:covert=人目につかない、内密の、覆い隠された...等の意味】という表現をあえて使ったのは、そうやって表に出ることなく人を貶める奴らの陰湿さを伝えたかったからだ。


サイコパス人間の悪企みは、小さな【毒】の種を周囲のあちらこちらに撒くことから始める。


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誰彼構わずつかまえては近くに寄せて、「あなたは素晴らしい」と耳元でささやきつつ、その人をさかんに持ち上げる(理想化)。


ところが、本人がその場から去るやいなや、たちまち悪口大会の幕を切って落とすのもあいつら自身だ。
「悪口大会」って書いたけれども、これだとあいつらの陰口の微妙ないやらしさが充分に伝わらない恐れがあるよね。



サイコパス人間はね、はっきりとした言い方で糞味噌にけなすというよりはむしろ、

「自分は、あの人にひどい目に遭わされた被害者なんです」

って感じに話を持って行くんだ。



どういうわけか、サイコパス人間にいつも辛く当たるような奴がいたとする。
すると、あいつらはこう言う。


「所詮人間です。過ちだって犯すでしょう。でも、ひどい目に遭った被害者は、私の他にも現にいる。気の毒なことです。」


陰口ではなく、みんなからひどく扱われた被害者でありながら、他人をちゃんと気遣う私、という自己アピールでもって反撃するんだ。


あなたもきっと経験したんじゃないかな。
ああ、この人、こんな不平不満の打ち明け相手としてわざわざ私を選んでくれたんだ、って思わなかったかい?
正直な話、相手から特別扱いされてまんざらでもなかったんじゃないかな。


(ね、それほどにまで僕らの善悪の基準はひどく捻じ曲げられていたんだよ。)



ところが、事態は急変。
今やあなたがあいつらの悪口の対象となっている。


何の前触れもなく、あなたは突然諸悪の根源と決めつけられた...
まさかあなた自身が矢面に立たされる日が来るとは。


そうした動きが加速するのは、あなたと相手との関係がほころびを見せ始める頃だ。
「あんなひどい奴に...」とさんざんあなた相手にボロクソに言っていたその対象の元へと舞い戻り、今度はそちらであなたのことを糞味噌にけなす。
で、「あの女/男はおかしい、終わってるね」と、来る日も来る日も嘆き節をうならせているらしい。


これで多くの人はころっと騙される。
そして、「気の毒に」「かわいそうに」の言葉をさかんにあいつらに浴びせかけてやるんだ。


サイコパス人間にしたって、次のターゲットを定めてそっちへ本格移行するまでには時間を稼がなければならない。
暇つぶしする間に誰からも不貞を咎められずに過ごしたかったら、「自分は被害者なんです」とさかんに吹聴して回るのが一番、ってことを熟知しているんだよ。あの連中は。


あなたがサイコパスな相手と付き合っていた頃、一度も会ったことすら無い人々のことを「嫌いだ」「憎たらしい」と感じたこと、一度や二度はあったよね。
でも、それって、サイコパス人間がしょっちゅう自分に都合の良いように話を捻じ曲げたせいじゃないのかな?
...ベタ惚れされてしつこく迫って来たから付き合ったけど、結局はズタボロにされてひどい思いをした、とか。
もしくは彼女/彼があなたのことを死ぬほど嫉妬しているそうだ、とか。
そんな話ばかりゴマンと聞かされたから、じゃないのかな?


この手の話を幾度となく、時間をかけて繰り返し聞いていくうちに、あなたの中には大量の負の感情と妬みとが徐々に積もり積もっていく。
通常の健全な人間関係だったら、まずそういうことは起こらない。
しかも、あなたが自分の内側に積もらせていくのとそっくり同じ負の感情を、他の人々があなたに対しても向けるようになるのだ。
何とも痛ましい話である。


たとえば、あなたがサイコパス側を味方する友人や、その元カレ・元カノとばったり出会ったとしよう。おそらくは笑顔で挨拶してくれるだろう。あなただって、同様に笑顔で応えるに違いない。


だが、一度サイコパス人間の呪いにかかった人間たちの場合、事はそう単純ではない。
笑顔の裏側には、表面とは似ても似つかぬどす黒い部分が必ずや、ある。
誰もが陰で互いへの恨み・つらみをくすぶらせ、しかもそれが日増しに大きくなる一方なのだからね。
無理もないさ。
だって、みんなが他の誰かに敵対するようにと仕向けられてきたんだから。
あいつらの策略によって。


そう。


あなたも、他のみんなも、奴らにとっては単なるチェスの駒(ポーン)のひとつでしかない。


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注目とドラマ無しでは生きていけない連中が暇つぶしとしてやる、チェスの駒に過ぎないんだよ。


駒と駒とは近付き過ぎると互いに情報交換されてしまうので、程よく離れたところに配置する。
かと言って、離れすぎてもまずいんだ。
あなたが自分の立場に常に危機感を抱かざるを得ない程度の、敵の姿が見え隠れするぐらいの、ちょうど良い距離に置かねばならない。


こうしてチェスの駒にされて、巻き込まれてしまった周囲の人々にしても、おそらく本当はその全員が「100%まともな人」なのかもしれない。
あなたがまだサイコパス人間と完全に切れてない段階では、なかなかそうは認めたくないだろうけどね。
そうした周囲の人々だって、君と同じようなやり方で毒を盛られて、洗脳されて、そしてあいつらが吹き込んだ悪評を丸々信じて、敵対的な態度に出ているだけかもしれないよ。



人一倍共感力の高い彼女・彼氏を自認するなら、相手の友達とは積極的に仲良くなって当たり前。その人達に好ましく思われたい、と願うのも当たり前...。
確かに、付き合い始めて間もない頃はそれでも良かった。
だが、三角関係が浮上し、陰口がエスカレートしていくにつれ、あなたの中にはますます多量の彼らに対する負の感情が蓄積されていく。


時にはそんな自分を責めたこともあっただろう。
「あー、やだやだ。私、嫉妬心と恨みつらみの塊になってる。最低だな。」


これこそまさに、サイコパス人間が暮らす現実世界だ。
陰口と嘘でもって現実がひどく歪められた世界。
ついにあなたもその一員として仲間入りだ。


あなたの前に現実世界が二つある。
さて、選ぶとしたらどちらだろうか。


世界1.サイコパス人間はまともだ。
嫉妬深く、性悪で利己主義なのは、他のみんなの方だ。


世界2.嫉妬深く、性悪で利己主義なのはサイコパス人間の方。
他のみんなはまともだ。

2017年10月23日月曜日

退屈



イヤな出来事の後、一人になって充電したり、考え事をしたりする。
誰だってそういう時間が必要だ。人間とはそういうものだ。
ものづくり。文章執筆。料理。
空想の世界に遊ぶ。瞑想する。絵を描く。将来の見通しを立てる...。
さもなければ、ちょっと昼寝をする、とか。
これだって、疲れた自分への立派なごほうびだ。


何を言いたいのかって?
つまり、こういうこと。

「内向型人間だろうと、外向型人間だろうと、時々は立ち止まって静かなひとときを持たねばならない。
これは全人類に当てはまる真理だと思う。」


...これ、残念ながらサイコパス人間には当てはまらない。
あの連中にとって、「一人で過ごす時間」ほど心がざわつくものってほとんど無いんだ。
他の誰かと一緒にいさえすれば、クールで落ち着いた顔を保っていられるのだけどね。
何せ、こいつらは良心というものを持ち合わせていない。
ひとりぼっちになると、ろくなことしか考えないんだよ。
賞賛と注目というエサの供給がストップすると、奴らの頭の中はたちまち「退屈だ~」の不満でいっぱいになる。


常に退屈している、サイコパス人間。
身につきまとう「退屈」をどうにかこうにか振り払いたくって、何かしら外に刺激を求めずにはいられないのだ。
長時間一人になるのは耐えられない。


健全な人間は、年を取るにつれて静けさと内省の素晴らしさがわかるようになる。
一人静かに過ごすひとときを持ってはじめて、人は自分についての大切な真実を見出せるものだ。


ところが、ここでもサイコパス人間の反応は異なる。


何せ、あいつらと来たら、どんなに自分の中を見つめたところで何一つ見つからない...要は中身がスカスカ...という類の人間だからね。
暇さえあれば周りをキョロキョロ。誰かいい人がいれば物真似スタート。
「あ、これ、欲しい」という特性は即座にコピー、自分にペースト。
それが奴らの十八番だ。


「想像力」と「創造力」。
人間に与えられた才能の中でも最も素晴らしい部類に属するこの二つだけれど、いずれも「共感力」というベースがあって初めて花開くもの。
サイコパス人間にはその共感力すら存在しない。
だから、何をやってもせいぜい猿真似レベル。そうなるのも当たり前だよね。


僕は以前、ソシオパスを自認する人々が集う掲示板やオンライングループを覗いたことがある。

【参考記事:「ソシオパスとつきあっているかもしれない11の兆候」
http://www.huffingtonpost.jp/entry/11_signs_dating_a_sociopath_n_3841308.html 】


どこの場所でも決まって大いに盛り上がっていた話題があった。


「毎日が死ぬほど退屈なんだけど、どうしたらいい?」



いかにもあの手の連中らしい悩みだな、と思ったよ。



おススメされていた「退屈への処方箋」の内容は、まぁ、僕が予想した通りだった。
セックス、アルコール、ドラッグ。
そして...他人を操ること。


他人と自分との間に結ぶ、人間関係。


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人間関係ほど頼りになり、効果抜群の退屈撃退法を見つけるのは至難の業だ。
一度誰かを引っ掛け、後はその人をいじるだけ。
これほど楽な退屈解決法はそうそうあるまい。
しかも、いつでもオンデマンドでほめ言葉を引き出し、注目を集め、賞賛の眼差しを浴びることまで可能、という特典付きだ。


ターゲットを固定し、スタンバイOK!の状態で常駐させられればもうしめたもの。
後は誰にも邪魔されず、サイコパス人間の気が済むところまでとことんターゲットをおとしめ、傷めつけていくだけだ。
「恋している人」の役を演技するよりも、はるかに面白い展開となることだけは間違いない。


迷路にはまった哀れな小ネズミのように、あたふたと右に左に駆けずり回るあなた。
死ぬほど退屈だった毎日にうんざりしていた奴らにとって、こうした光景は最高に愉快な見世物だ。
少し前にあなたがくぐり抜けた【理想化】の段階も、結局、奴らの退屈が産み出した副産物に過ぎなかったわけだ。


【参考過去記事: 作りものだった「ソウルメイト」: 理想化【1】
http://sayonara-psychopath.blogspot.com/2015/02/1.html 】

...できるだけ長い間あなたを傷め続けて楽しい思いをするためには、じっくりとあなたを磨き上げて、調教する手間暇がどうしても必要だったんだね。



あいつらと付き合っていた頃、「疲れたな...」と感じたことが多くなかっただろうか。
いわゆる「ハネムーン期」の濃密さが一段落するやいなや、あなたと彼/彼女が二人っきりでいる機会は激減したはずだ。


なぜかいつも周りに誰かいる。
相手の都合や、相手の友達の都合に合わせて、誰かを交えて一緒に動く。
で、さんざん振り回された後にも、また別の予定が待ち構えている。


一見すると、サイコパス人間の行動パターンは無邪気に遊ぶ子供のそれに似ていなくもない。子供にふさわしく、取り巻きの中にはママタイプ、パパタイプを数名は常備。
取り巻きの熱烈なサポーターぶりだって相当なものだ。
「お呼びとあらばいつでも参上」とすら言いかねないような忠実な人が彼らの周りを固めている。


奴らはどうしてもそうした取り巻き連中の力を借りずにはいられないんだね。
極力、退屈な時間は過ごしたくないから。
退屈したくない、となれば、いじりの対象となるターゲットが多ければ多いほど愉快、ってことになる。
「彼氏・彼女」の関係へと昇格する前には、取り巻き連中に対してあなたの陰口も言っていたかもしれないよ。


ところが、一旦あなたをロックオンして「彼氏・彼女」としてしまうと、話がちょっと複雑化してくるんだ。
あなたとの付き合いを優先するか。
それとも他の人々(スタンバイ状態に置く必要がある)との付き合いを優先するか。
サイコパス人間は、この二つの問題の狭間を行き来せねばならない。


その日その日で選ぶコースがどちらにしても、これだけは確実に言える。
「サイコパス人間が一人ぼっちでいるなんてことは、めったに無い」。


あなたの神経を逆なでし、心を傷つけた時、一体どういう反応に出るか。
それをLIVEで見ている方が、黙って一人自室にこもって一時間過ごすよりははるかに楽しい。
あいつらはそういう連中さ。


「退屈」は、あなたと相手の関係が破たんする時、最悪の形を取って現れる。
どうやら、サイコパス人間はあなたへの興味を突如として失ってしまったらしい。
あなたが何をしようと何を言おうと、相手は無反応。全く興味無し、といった様子だ。


どうにかしてもう一度振り向いて、私のことを見て、と必死に追いすがるあなた。
だが、相手がかつて絶賛していた自分の性質が、今となっては「最高に鼻もちならない」欠点として映るらしい、と知る。
あんなに私のことを熱烈に見ていてくれたあの人が、今は振り向いてもくれない。...「つまらない人生から僕を救ってくれるのは、君だけさ」ってささやいてくれた、あの人が。



相手からの冷酷極まりない仕打ちを受けながらもなお、あなたはけなげに信じ続ける。
「ひょっとしたら、今ならまだ【退屈解消役(Boredom Relief)1号】の座に返り咲けるかもしれない...」と。
それはごく当たり前の反応だと思うよ。
あの、バラ色の【理想化】段階はもう戻らないと気付いてしまったけれど、せめて「慰みものコレクション」の一つとしてでもいいから傍に置いてもらいたい。
必死ですがりつきたくなる気持ちもわかるよ。


そう。


われわれが求めるスタンダードは、そこまで情けないレベルにまで歪められ、堕ちてしまったのだ。


2017年10月15日日曜日

最凶最悪スピ系自己愛の記事、これで完結です。

全三回の記事翻訳、最後の部分をアップロードしました。


史上最凶最悪のナルシシスト(自己愛人間)③http://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/5.html


記事中に登場した筆者のお友達で、ジョナサン・マーシャル博士という心理学者の方の言葉、心にずんと響きますね。

「スピリチュアル・ナルシシスト(スピ系自己愛)は、 より寛容であろうと努力し、 より理解ある人になろうとするような向上心豊かな人々が住む場所を嗅ぎつけて、そこに寄生するんだ。  

そういう人々のコミュニティの一員となってしまえば、 あいつらが影響力を行使するのは実に簡単だからね。」

確かに全くもってその通りなのです。
真実そのものだと思います。


羊の群れには、羊の皮をかぶった狼が紛れ込みやすい、ということでしょうか...。


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↑これ、邦題からは想像しがたいですが、「羊の皮をまとって(狼は牙をむく...)」という原題だったんですね。

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無防備で人を信じ過ぎな羊さんになっていないかどうか、
時々は自分のことを振り返ってみる必要がありますね。


2017年10月14日土曜日

続きです。「史上最凶最悪のナルシシスト(自己愛人間)②」

前回の記事に続けて、全3回のうちの2回目をアップロードしました。

史上最凶最悪のナルシシスト(自己愛人間)②http://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/3.html

筆者の最後の言葉、
「スピリチュアルな学びは、自分を自由に解き放つべきもの」。

これ、今流行りの「あなたはあなたのままでいい。(何も努力する必要は無い)」と混同されてしまうと、ちょっとまずいかも。


単なるナマケモノとしての人生を送ること。
そして、
必要の無い束縛から離れて、自由にいられること。


この二つ、一見すると似ているかもしれませんが、実は全然違うものだと思います。後者の方は「高等技術」です。
ただ楽になることだけを考えているわけじゃなく、自由と束縛をどんな割合で自分に課したらよいか、ちゃんと考えながらやっている。
バランス取るのって、なかなか難しいもんです。


難しいとは言っても、この問いだけは「先生」「師匠」「グル」に代わりに答えさせるわけにはいきません。
一生涯かけるようなつもりで、自分にとってのベストな配合というか、バランスを自力でもって導き出すしかありませんね。


秋の夜長、いろいろと考えさせられます。

2017年10月13日金曜日

「史上最凶最悪のナルシシスト(自己愛人間)①」掲載しました。

今回から3回にわたって、「スピリチュアル・ナルシシズム(スピ系自己愛)」に毒された元・彼氏から無事逃げてきたイギリス在住のシンガポール系若手臨床心理学者&コーチングの専門家が書いたエッセイをご紹介します。


同世代の女性たちに向かって語り掛けるような、フレンドリーで肩のこらない文章ですので、(前回の、いささか専門的でオカタイ内容とは違って)気楽に読めるのではないかな、と思います。


史上最凶最悪のナルシシスト(自己愛人間)①http://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/blog-page_13.html


「予備知識に勝る自衛策無し」。


まったくもってその通りだと思います。
こうした人間がその辺をうろちょろしていて、心優しい人々にたかることで自尊心をアゲ⤴アゲ⤴している。
しかも、「霊性修行に励む、スピリチュアルな人」という隠れ蓑の下に、「お前らとは一緒にしないでくれ」という傲慢さ、「人のことなんてどーでもいいんだよ」という身勝手さを隠しているのですから、まったく始末が悪いとしか言えません。


まだ彼らの存在に気付いていない人もたくさんいます。
ああ、その人達の耳元まで行って、今すぐささやいてあげたい。

「そのスピリチュアル野郎はエセ・スピだ!さわるな危険、フェイクだぞ!」

って。
(気分はほとんど「王様の耳はロバの耳!」と穴に向かって叫ばざるを得なかった床屋さんですな。)


画像、オクラホマ大学の授業HPから拝借しました。

スピ系自己愛・翻訳記事アップロード(その②)

前回(リンクはこちら)の続き、記事の後半部分を翻訳・アップロードしました。バンクーバー・サン紙(カナダ)のコラムニストによる文章ですが、内容は精神科医・故ジェラルド・メイの著作「意志と霊(原題・Will and Spirit)」からの引用・要約が中心となっています。

スピ系自己愛~肥大するエゴ【後編】
http://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/6-neo-paganism-httpsja.html

私たちが【スピリチュアル・ナルシシズム(スピ系自己愛)】に冒されてしまった指導者・グループリーダー・セミナー講師・著作家などを見抜いて、上手に避ける際にも役立つヒントが紹介されています。

「もう二度とインチキ野郎/ウソツキ指導者に引っ掛かるのはごめんだ。でも、いつか【本物の先生】に出会いたい、という希望までは完全に捨てたくない。」

という方に読んでいただければうれしいです。

2017年10月12日木曜日

スピ系自己愛・翻訳記事アップロード(その①)

スピリチュアル・ナルシシズム(スピ系自己愛)に関する2015年の記事の翻訳です。(原文はカナダ・バンクーバー・サン紙に掲載。)


冒頭の部分をアップロードしました。

http://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/will-and-spirit-isil-will-and-spirit-2-d.html



2017年10月7日土曜日

隠れ自己愛 【スピリチュアル・ナルシシズム/スピ系自己愛】

2013年に管理人が楽天ブログにて「黒犬べーやん」の筆名で書いた記事です。
【隠れ自己愛人間】。...知ってた?http://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/blog-page_7.html

【スピリチュアル・ナルシシズム】【スピ系自己愛】に毒された、自称・「指導者」「ヒーラー(治療者)」「セミナー講師」。
そのような人々を理解する上で重要なのが、この【隠れ自己愛】というキーワードです。
なので、今回こちらの「別棟」の特設ページにも掲載しておくことにしました。


「隠れ自己愛」。
本来の「私が!私が!」という激しい承認欲求をぐっと抑えることで、一見「フツーの人」のように見える、ちょっと特殊な自己愛/サイコパス人間です。
詳しい説明は、上のリンク先の記事をどうぞ。


欧米人のように「どーだ!私はすごいんだ!(注目しやがれ!)」といった姿勢を前面に打ち出すと、集団内で目立つことを良しとしない日本の社会ではドン引きされてしまうことが多いですからね。


心の奥を探れば、最終的には「俺ってスゲー」「あたしって最高ー」という、一般的な自己愛/サイコパス人間と変わらぬ本音が出てくるのですが、【隠れ自己愛】はなかなかその本音を外には出しません。
普段は気合い入れて「控えめで謙虚な人」の役を演じています。
それゆえに、あまり警戒心を持たれることなく人々の生活圏内のディープな部分へとあっという間に忍び込む危険性がある、何とも困った類の自己愛/サイコパス人間なのです。


「控えめで謙虚な人」という演技がうまく機能している間は、特に大きな問題になることはありません。
【隠れ自己愛】と、真面目で、純粋で、他人をあまり疑わない人達との間に「友情」らしきものが生まれやすいのは、この段階の「控えめで謙虚な人」という役どころに「信じやすい人たち」がコロリと騙されてしまうからです。
もちろん、【隠れ自己愛】は、そうした「信じやすい人たち」の性格的な弱点を熟知した上で、あえて彼らに狙いを定めてアプローチしてきているのですけどね。
他のサイコパス人間同様、彼らのやることなすこと全てが計画的なんですよ。
「偶然なんて、無い。」のです。


「あ、この先生、私と考え方が似てる。」
「先生にも自分と同じように悩んだ過去があったんだな。親しみ感じちゃうな。」
「学生時代に知り合っていたら、きっと仲良くなれたと思う。」


「指導者」が、そんな風に観衆/お客に信じ込ませることに成功し、彼らの心をガッチリとつかんでしまえば、しめたものです。
後は「隠れ自己愛」の書いた脚本通りに事はどんどん進みます。


...その隠されたダークな本性に気付いて、逃げ出したり、仲間のために警鐘を鳴らしたりする「余計なことする奴」が現れない限りは。

Copyright: chainat / 123RF Stock Photo


会って間もない頃には、偽の謙虚さ・やさしさを外界に向けてしつこいくらいにアピール。
「清く正しく気高い私」のイメージを保つためなら、【隠れ自己愛】は何だってしますよ。
過去の改ざんや記憶のすり替えなんて朝飯前です。
なんたって、嘘をついているという自覚が全く無い人たちですからね。
それが大人同士の信頼関係にとってはどれだけ致命的か、なんてことすら全く理解していません。
精神年齢はせいぜい5歳以下、といったところ。
どんなにきれいごとを並べ立てていようとも、どれほど身ぎれいに装っていても、ふとした瞬間に幼稚で自己中心的な性格が露呈します。


他人を操り、さんざん都合の良いように利用するずるさを持つ一方で、病的な【好かれたがり病】にかかっているんですね、この【隠れ自己愛】は。
自分は好かれているだろうか、まだ正体はバレてないだろうか...。
ある夜突然、圧倒的な不安に襲われ、朝まで眠れなくなるほどに心臓ガクガク、背筋ブルブル、となるっていうのですから、もう、救いようがありません。



そんな【隠れ自己愛】の「自称・指導者」からは、一刻も早く逃げ出しましょう。
どうせついて行ったところで、ロクな結末しか待っていませんから。
そもそも、自分で自分の本心をごまかしているような、平気でウソつきまくるような自己観察力の無い奴が、他人様の人生を「指導」だなんて。


まったく、おこがましいったらありゃしない。
アホ言うのも休み休みにして欲しいです。



そんなインチキな「指導者」の言う事なんて聞くのはやめましょう。
古今東西の名著・名作と評価の定まっている書物を選んで、一冊一冊地道に読んでいく方が、はるかに実のある「指導」が受けられますって。
費用だってそれほどかかりませんしね。図書館行けばタダで読めます。


さあ、勇気を持って。
逃げるなら今です!!!



2017年10月3日火曜日

【番外編】「スピリチュアル・ナルシシズム」(スピ系自己愛)のページ、作りました。

ご無沙汰しております。管理人・あらいぐまポムポムです。
しばらく潜入取材・兼・充電目的の長旅に出ておりました。


このたび「別棟」として「スピリチュアル・ナルシシズム spiritual narcissism」(霊的ナルシシズム/スピ系自己愛)の問題を扱う小部屋を新たに設けました。
「さよなら、サイコパス」の続きを楽しみにしてくださっている方々、申し訳ありません。
決して中断したわけではありませんので、誤解なさらないよう。


「スピリチュアル指導者」を名乗る人々が巷にあふれる昨今。
残念ながら、その中には「あんた、人に指導なんかしない方がいーんじゃないの、指導どころかかえって害毒になってるよ!」って言いたくなるような輩も、少なからず混入しています。
法による規制の無い「何でもあり」の混沌とした業界ですからね。
消費者自身が賢くならないと、たちまちカモられてしまいます。


無責任な「指導者」による霊的搾取に泣かされる人々をこれ以上増やしたくない。
事が事だけに、被害者が泣き寝入りしてしまうケースが圧倒的ではありますが、せめてその人達に「あなたはそんなに悪くない」ってことだけは訴えたい。

...そのような思いで、今回、こちらの「さよなら、サイコパス」HPにおいて、「スピリチュアル・ナルシシズム」(スピ系自己愛)という問題に関する情報を発信することに決めました。
危険信号を早めにキャッチできれば、被害も、心の傷も、最小限に食い止められますものね。
一人でも多くの方のお役に立てれば、こんなうれしいことはありません。


事態はそれほどまでに深刻化しているのです。
もはや黙って手をこまねいているわけにはいきません。


前置きが長くなりました。
記念すべき最初の翻訳記事はこちらです。

「自己愛的な『スピリチュアル指導者』を見抜けなかった私」

今回は、リンダ・マーティネス・ルーウィ(Linda Martinez-Lewi)博士という米国人専門家によるブログ記事を翻訳しました。
Dr.リンダは自己愛性パーソナリティー障害の被害者カウンセリングがご専門。臨床心理学で博士号をお持ちです。
アメリカでは既に2冊の著書を発表していらっしゃいます。


・・・自分は霊的に覚醒している、
悟りを開いてる、
高次のレベルに到達している...。


そのように信じ込み、自分の素晴らしさに酔いしれるがあまり、聴衆にも同じような反応を期待する【自称・指導者】【スピリチュアル・リーダー】。


自己愛人間っぽい性格をストレートに表に出すか出さないかは、人によりますし、観衆/聴衆の知的水準によっても変わってきます。
なので、一見して「うわっ、自己愛人間だ!」との印象を受けることはあまり無いかもしれませんね。
彼らにとっては、目の前の相手の反応に合わせて自己愛の露出度レベルを微調整するなんてことは、ほんの朝飯前。
カメレオンのように変幻自在、つかみどころが無い、実に困った人々です。


自己愛的傾向を持った「指導者」は、目の前にいる客をざっと見渡して「どういうイメージが受けるのか」をいち早く察知します。
で、「今回の聴衆に対しては、少し本性を隠して『おとなしめのキャラ』をかぶった方が受けそうだ」と、感じ取ったとしますね。
すると、その「指導者」はすぐさま自己愛ボリュームを絞り、「謙虚で控えめな、霊性の高い自分」を演出し、そのイメージに沿って自分を表現するのです。


素のままで堂々と勝負できる【本来の自分】がしっかりと確立していないから、受けそうな「キャラ」を場当たり的に身に着けるんですね、その手の「指導者」は。
Dr.リンダの記事に登場する瞑想の先生の例でもわかるように、「以前会った時とどうもキャラが違うような...」という違和感が生じるのは、そのせいです。

【参考過去記事:「あの人、サイコパス? 気付きたい、30の危険信号【3】」より 】
「一緒にいる相手によって、異なるペルソナ(仮面)を使い分けるのが、このサイコパス人間。目の前にいる客の要望に合わせて、自らを千変万化させる。だが、彼らも時々へまをする。あなたには決して見せたことのない別の仮面をかぶったまま、あなたの方へと向いてしまった。はっとそれに気付いた瞬間に味わう不気味さと言ったら、何とも形容し難い。
あなたは徐々にこの人物につきまとうモヤモヤ感に気付き始める。」


そういう小ずるい芝居をするのが常となっているので、長期間接している生徒でもなかなかその正体を見破ることはできません。


生徒は、この「スピ系自己愛」の「ペルソナ(仮面)」の、好ましい部分だけを見て「立派な先生だ」と、尊敬の眼差しで見るようになります。
そして、じわりじわりと自己愛的な「指導者」のやり方に洗脳されていきます。
考え方、行動、その他生活のあらゆる面において「指導者」から言われた「これはああしろ」「あれはいけない」に影響されていき、いつのまにか相当まずい方向へと誘導されていた...。
これ、決してあり得ない話ではないのです。
Dr. リンダの体験談からもわかるように、世界中のたくさんの人たちの身に、同じようなことが実際に起こっています。



だけど、そうした【スピ系自己愛】が外の世界に見せている「聖女」「聖人」気取りの仮面をひと剥ぎしちゃえば、ダークな本音の部分はみーんな同じなんですね。
「絶対服従してくれ」
「賞賛してくれ」
「金を貢いでくれ」
…もう、この三つに尽きるでしょう。


“Psychopath Free"(こちらのブログの原本です)や、こちらの翻訳ブログでも長々と扱っている、サイコパス人間特有の奇妙な習性や思考、そして常人の理解を超えたぶち切れ反応(自己愛憤怒)や、人を人とも思わぬ冷酷非情さ。
この「スピ系自己愛人間」を理解する上で、非常に参考になります。

「お前らみたいなレベルの低い凡人/俗人とは所詮、次元が違うんだ。間違っても一緒にするなよな!(このボケ!) 
ぶっちゃけ、お前らの幸せだとか霊的学びだとか、私/俺/僕にとっては、はっきり言ってどーでもいいこと。お前らが後で泣こうがわめこうが、そんなのこっちの知ったこっちゃない。
ありあまる賞賛、そして精神的隷従(と、できれば金も)。  出せるだけ全部出して、それをそっくりそのまま私/俺/僕に捧げて欲しい。それが、本音さ。」

耳に心地良い言葉、ニセの謙遜、偽りの慈愛ポーズ。
そうした「エサ」を派手にばらまいては人をひきつけ、知らず知らずのうちに自分の弟子・手下にしてしまう。


途中で「何かがおかしい」と気付いて離れた生徒に対しては、「あのぶどうは酸っぱかった」と強がるキツネの屁理屈(イソップ物語)でもって、ボロクソにけなし、
「あの人の末路は悲惨なことになるに違いない」と、何の根拠もない「予言」でもって呪いをかける...。


しかも困ったことにこの「指導者」、さりげな~く「自分アゲ、他人サゲ」という心理戦術を駆使するのに長けているんですよね。
スピ系自己愛の「指導者」にすっかり心を許してしまった人たちは、元来素直で真面目で人を疑わない性格であることが多いため、いとも簡単に以下のような「思いグセ」を心の中にインストールしてしまいます。


「やっぱり私はまだまだ努力が足りない。こんなことじゃいけない。もっとがんばらなくっちゃ!」


そうやって、純粋に「指導者」の言う事を信じて努力する人ほど、「自分、ダメダメじゃん。」の無限ループ蟻地獄に陥っていきます。


しかも、現に自分が今、地獄へと落ちつつある...ってことに全く気付いていないんですよ。
仮に気付いたとしても、そこから這い上がり、正常な自尊心レベルにまで到達するのは至難の業、っていうのがまた、恐ろしいです。


周囲に似たような体験をした人など皆無。
なので、誰かに相談するというわけにもいきません。


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スピリチュアル・ナルシシストが仕掛けた、「指導者アゲ⤴アゲ⤴で、教え子サゲ⤵サゲ⤵」という思い込みの罠(トラップ)…。


どこまで行っても、いつまで経っても、出口は見えてこない。
幸せの後姿すら、一向に見えて来ません。
...こんなに一生懸命「師匠の教えをしっかり守る、いい子ちゃんな自分」でもってがんばっているというのに、一体何が間違っているんだろう...。


「何かがおかしい」
「モヤモヤする」
「以前と比べて、自然な感情が出にくくなった気がする。」
「生きている心地がしない。」


気付いて、目覚めて、スピ系自己愛「指導者」の洗脳/呪縛から逃げ出さない限り、生徒たちはいつまで経っても迷える子羊状態のまま。
ゆるやかに生きるエネルギーを奪われていきます。


「指導者」の手の届かぬところへ一旦逃れるというオプションもあるんですけどね。
でも、それに気付かないまま、生徒たちは「指導者」の足元をウロウロとさ迷い続けます。
そもそも、そんないい加減な「自称・指導者」の中に答えなど最初から無いというのに、ね。


経験した方はご存知でしょうが、【スピ系自己愛】が取り巻きを引き留めようと必死に打ってくる作戦って、結構効き目あるんですね。
何せ、「人が周りにいないくらいなら死んだ方がマシ、孤独にだけはなりたくない」、と四六時中考えているような人達ですから。
相手の罪悪感や恐怖心に訴えて、自分から離れていかないようにするのは得意中の得意です。


精神世界・スピ系の本が好きで、いろいろと先生ジプシーをした経験をお持ちの方。
「ん...?何か、この先生、妙...。」と違和感を覚えるような「自称・指導者」にどこかで出会ったこと、あるでしょう?
一人や二人は。


ひょっとしたら、その自称・「指導者」、危険なサイコパス気質を「霊的に進んだ人」というご立派な隠れ蓑の下にこっそりと潜ませている


【スピリチュアル・ナルシシスト】
(スピ系自己愛)


かもしれませんよ。


操られてはいけません。

騙されてはいけません。

魂の自由と尊厳だけは売り渡しちゃいけません。

そうならないために、一緒に防御策を学んでいきましょう。


長らくお待たせしている「さよなら、サイコパス」本文の訳出と並行しながら、スピリチュアル・ナルシシズムに関する良質の海外記事を翻訳・アップロードしていきます。
(たまに管理人が昔書いたブログ記事も差し込む予定です。)


不定期更新となりますが、よかったら時々覗いてみてください。