2019年5月18日土曜日

トラウマ体験と二つの世界【後編】

【※前編はこちらです。
https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2019/05/1.html 】

それから、しがらみや惰性だけで続いているような人間関係だけど、この際思い切って整理してみてはどうかな。
無理に長引かせたところで、今のあなたには何のプラスにもならないよ。
薄っぺらい世間話ではなく、価値観の近い人達と一緒にディープな人生談義を楽しみたい。
それがあなたの本音なんだろう?


以前は楽しかったはずの集まりなのに、最近は物足りなさを覚えることが増えた。
居心地もあまり良くないことだし、いっそ早めに引き上げるとするか...。
これもまた、この時期にはありがちなことだ。


というのも、あなたにとっての

「サイコパシー」
「共感能力」

はいくらでも話し続けられる、非常に興味深いトピックだよね?
いつでも誰とでも、きっかけさえあれば語り合うだけの準備はできている。
だけど、そうした話に乗ってくれるような人って案外少ないものだ。
できることならば怪しげな話題は極力スルーで行きたい。
そう考える人の方が世間では「普通」とされているんだよ。


【なぜあそこまで無関心でいられるんだろう、あの人たち。全くもって信じられない...。】
あまりにもそっけない彼らのリアクションを前に、とにかく腹が立って立って仕方がなかった。
読者の中にも、そのような経験をした人が多分いるんじゃないかな。


ほらほら、またもやあなたのど忘れ癖が出てしまったようだね。
世の大部分の人々は、外の世界と自分とを隔てる【バリケード】に守ってもらって心穏やかに暮らせればそれでいい、余計なことはしなくていい、と思っているものだ。
キナ臭い話なんてごめんだ、勘弁してくれよ...。
口に出さなくても、内心そう感じている人の方が圧倒的に多いだろうね。


サイコパス?
共感能力?
あ~、またその手の話か。めんどくさそうなことにはあまり首つっこみたくないんだけどな~...。
返ってくるのは、このような反応がほとんどだ。


だからと言って、彼らを「冷たい」と非難するわけにもいかないだろう。
あなた自身も、かつては彼ら同様【バリケード】内側の住人だったのだから。


【現実/外】の世界と、【魂/内】の世界。
二つの対照的な世界の間を振り子のように揺れ動きつつ、あなたはしばし考える。
いつになったら楽になれるのか。出口らしきものはまだ一向に見えてこない。
そもそも自分の中に二つの人格が同時に居座る、なんて奇妙な現象さえ起こらなければ、ここまでややこしいことにはならなかっただろうに...。


いいかい。
どれほど頑張ってみたところで、サイコパス体験以前のあなたを取り戻すなんてもう不可能なんだよ。
明るく前向きで純真無垢だった、あの頃。
今の様子からは想像もできないけれど、かつてのあなたは無邪気そのものといった感じの人だった。
その人はもう二度と戻らない。永遠に失われてしまったも同然なのだから。


だが、もがきや苦しみの背後で、とある大きな変化が起こりつつあることにあなたは気付いているだろうか。
以前と比べてみて、他人との間により風通しの良い、健全な関係が築けてはいないだろうか。
そればかりではない。
他人との間にバウンダリー(境界線)を引くことも、最近ではそれほど難しいとは思わなくなった。
自分を粗末にしてはいけない、ということだってしっかり学んだ。
「欠点だっていっぱいあるよ。でも、良いところだってたくさんあるし!」と、自分自身に正当な評価を与えられるようにもなった。


で、ある時あなたは突然悟る。
「なんだ、自分を防御するための【バリケード】なんて結局は必要なかったじゃないか」と。
まさにこれこそが「目からウロコが落ちた」瞬間だ。


この先も引き続き観察を続けていけば、その気付きが確信へと変わるのもそう遠くはないだろう。
あなたの言う通りさ。
世界と僕らとを隔てる【バリケード】なんて要らなかったんだ。
そんなものの助けを借りなくったって、僕らは充分自力でもって幸せになれるのだから。


そもそも【自尊心(self-respect)】って何だろう。
自分(self)のことを尊重しよう(respect)、という気持ちのことだよ。読んで字のごとし、だけど。
一体どこから来るかって?
もちろん、僕らの内側に広がっている世界からやって来るに決まっている。
宇宙は実によくできているものだ。そう感心せずにはいられない。
だって、聞こうとする耳を持つ者にはちゃんと答を差し出してくれるんだよ。最高に粋なはからいだと思わないかい?
(それって、裏返せば
「どれほど待ったところで、聞く耳を持たぬ奴のところには答なんてやって来ないよ」という意味にもなるよね。)


これからのあなたは、今まで以上に素のままの自分を受け入れられるようになっていく。
自分がもっと好きになる。
そういう流れにうまく乗れれば、もうこっちのもんだ。

【確かにあのトラウマ体験から受けた被害は甚大だった。
でも、全壊という最悪のシナリオからはどうにか逃れられたじゃないか。
だからこうやって今、再び立ち上がって歩き出せるんだ。】

との結論へとそのうちたどり着けるんじゃないかな。


あなたの【バリケード】は跡形もなく崩れ落ちてしまった。
でも、そこで思いがけず視界が開けたことで流れは変わった。
もしバリケードが崩れ落ちていなければ、忘れてかけていたもう一つの世界...つまり、人類全体を内包する大きな世界...へと続く連絡通路を再び見出すことなどできなかっただろう。


驚きいっぱい、元気いっぱいの瑞々しい子ども心についても、ここでようやく生存確認をすることができた。
どうやら心の奥深くにある目立たぬ場所で長いことひっそりと身を隠していたらしい。
行方知らずで一時は心配したけれど、結局は一歩も外へ出ることなく、あなたの中に留まっていたんだね。
よかった、よかった。


Image by pixel2013 from Pixabay

もうここまで来れば大丈夫だろう。
あなたはこの二つの世界...【現実/外の世界】と【魂/内の世界】...を自由自在に行き来できるようになったんだよ。
一回り大きく、そして賢く成長できた今、あなたは二つの世界を代わる代わるに訪問できるようになった。
これからは、普段の何気ない暮らしの中にもいろいろな楽しみを見出していくことだろう。


他人の心の痛みがまるで自分の痛みであるかのように感じられる。
そうしたあなたの特殊な感受性は、使い方を誤りさえしなければ今後の人間関係作りに大いに役立てられるはずなんだ。
一つ一つが味わい深く、非常に意義深い。これからはそういった縁を結んでいければいいよね。


あなたの才能は唯一無二のオリジナル。だからもっと自信を持って欲しいんだ。
たとえ他人が真似しようと試みたところで、そう簡単に真似できるものではない。


もちろん、僕もあなたも生身の人間だ。
時には心がざわついたり、荒れ模様になったりする日だって巡ってくるだろう。
そういう時は世界の片隅へと避難して、落ち着きを取り戻すようにしよう。静寂を友として、静寂の声に耳を傾けるんだ。
一人の時間が増えても、もう怖がる必要などないよ。
だって【一人の時間】イコール【もう一つの世界】で過ごす素敵なひととき、となるのだから。
楽しくならないわけがない。


あと、僕としては、トラウマ体験を乗り越えてきた全てのサバイバーたちにどうしてもこれだけは聞いてもらいたいんだ。

【あなたはダメ人間なんかじゃないよ!】

ダメ人間だなんてとんでもない。
素晴らしい人だよ、あなたは。
何が何だか訳がわからないまま、理不尽そのものといった状況へとただ引きずり込まれただけさ。
それでも必死に歯を食いしばり、諦めることなく最後まで頑張ったよね。
純真無垢さを強引に剥ぎ取られ、貶められ、そして遂には汚されて...という体験は想像を絶するような凄まじいものだったけど、でもどうにかここまで立ち直って来れたじゃないか。


耐え難い屈辱を受けた。これは間違いない。
でも、本来しっかり者のあなたのことだ。転ばされたってただでは起きないと思うよ。


辛い体験と引き換えに、あなたは【知恵 wisdom】というかけがえのない宝物を授かることができた。
数年、数十年、一生涯という時間をかけたというのに【知恵】に触れもかすりもせずに人生のゲームオーバーを迎えてしまった、という人々だって世の中にはごまんといるのにね。


当時を振り返ってみると、よみがえるのは辛い思い出ばかり。
でも、あれが「人並み外れた」特殊な経験だったことだけは間違いない。
宇宙というレストランがあなたのために用意してくれていたのは、どこにでもあるような無難な定食メニューではない、いささかスパイスが効き過ぎた、相当クセの強い味付けが施された特別仕様の一皿だったのかもしれないね。


これだけは覚えておこう。
僕らの住むこの世界には【魂/内の世界】と全く接触を持つことなしに一生を終える、といった類の人々も掃いて捨てるほど存在している。
もちろん例のサイコパスもその一人に含めていい。
まぁ、奴らの場合、【魂/内の世界】から出入り禁止と言われたも同然だしね。無理に押し入ろうとしたって、勢いよく弾き出されるのはまず間違いないよ。


だからこそ、奴らは共感力に富むあなたのような人間を忌み嫌うのさ。


自分にはどうしても手が届かないものがある。
なのに、あなたはそれを既にたくさん所有している。
この不愉快極まりない事実にぶち当たるたびに、サイコパスは地団太踏んで悔しがり、癇癪玉を爆発させずにはいられない。
奴らにはこの現実世界という修羅場でせいぜいもがき苦しんでもらおうじゃないか。
人生最期のお迎えがやって来るその日まで、俗世間の垢にまみれ、汚れ、七転八倒し続けてもらう。それがベストだろうね。


あの手の連中は、「魂の奥深いところで壮大な宇宙とのつながりを持つのが大切...」なんて話を聞いても鼻先でせせら笑うことしかできないだろう。
薄っぺらく生きて、薄っぺらいままで死ぬ。
所詮その程度の奴でしかないんだよ。


【現実世界】の中にいきなり【魂の世界】の一部がすぅっと入り込む。
読者の中に、そのような不思議体験をした人はいないだろうか。
僕自身、実際にこうした感覚は何度も味わったことがある。
だから「そういう世界は確かにあるよ。」ってきっぱりと言い切れるんだけどね。
似たような体験をしたのは決して僕一人だけではないと思うよ。


特にこれといった理由も無いのに、心が悲しみで圧倒される、ということがある。
でも、これ、他の誰かの悲しみが僕らの心の中に入り込んだだけなのに「あ、自分は今悲しいんだな」と僕らの方で勝手に勘違いしているだけなのかもしれない。
友人が大喜びしている時なども同様だ。
別に自分に良いことが起こったわけでもないのに、なぜか友人につられて自分まで気分が高揚してくる。で、いつしか心がすっかり幸せで満たされている。
考えてみればこれも不思議なことだね。


それから、「奇妙な偶然の一致」という言葉でひとくくりにされる諸現象がある。自分と同じ瞬間に、別の誰かも全く同じことについて考えを巡らせていた、という、これまた奇々怪々な現象だ。
でもこういう話は誰でも一度や二度耳にしているのではないだろうか。


そのような不思議な出来事を何度も体験してしまうと、僕らの目に見えようが見えまいが、【魂の世界】はこの世のどこかに確実に存在しているのかもしれないな、との結論にどうしても行き着かざるを得ない。


巨大な【魂の世界】側の視点から物事を見るならば、みんなを一つの大きな【つながり】でもって結びつけることだってできるよね。
そう、実はみんながつながっているんだよ。
今僕の本を手にしてくれているあなたも、そして著者である僕も、誰もがつながっているんだ。


【二つの世界】...つまり、【現実/外の世界】と、【魂/内の世界】が混ざり合って一つになったとしたら、果たしてどんなことになるだろう。
少しだけ想像してみようか。


融合後の新世界では、感情も、思いやりの心も、何一つとして修正を加える必要が無いから、ごく自然な、素のままの姿で存在することができる。
そこでは僕らの魂もまた、さながら鳥のように翼を広げ、大空高く舞い上がり、喜びの歌を高らかに歌うことができる。
とはいえ、悩みや苦しみといった茨の蔓(つる)でがんじがらめにされ、動けなくなった人も所々では見かけるかもしれない。
そんな時は、彼らの痛みにそっと寄り添ってあげよう。
虐待から回復しつつある人の歩みはまだまだぎこちない。
完全回復に至るまでには時間、そして周囲の人々からの応援がどうしても必要となるからね。力になってあげようよ。


もちろん、新世界にあるのは苦しみや痛みばかりとは限らない。
誰かの心に喜びの感情が芽生える。
すると周囲がそれをいち早くキャッチして、より多くの人々と一緒に分かち合う...。
そんな場面もここでは日常のごくありふれた一コマだ。これといった気負いもなく、自然にそのような流れとなるのも、新世界ではごく普通のことだ。
一人一人のハートからは、明るく、色とりどりの光がさんさんと外に向かって放たれている。
光輝くハートを持つ人の数が増えれば増えるほど、世界はますます美しい場所へと変化していく...。


どう?
「うん、素敵。本当にこんな世界があったらいいな。」
あなたもそう思ってくれるだろう?


もっとも、サイコパスの立場からすると、これほど魅力を欠いた世界も珍しいらしい。
共感能力など少しも持たぬ奴らにとって、共感能力が重んじられる新世界はそれこそ【生き地獄】でしかない。住み心地は最悪だろう。


だからこそ、僕らは手に手を携え、互いの力を合わせて、二つの世界を融合させていかなければいけない。
【現実/外の世界】と【魂/内の世界】。
対照的な二つの世界を融合させて一つの大きな世界を作るんだ。
そうすれば、暗黒人間の活動区域をじわじわと狭めていくことができる。
また、共感力に富む全ての人々に対しては「あなたは素晴らしい人だ、ダメ人間なんかじゃない!」とのメッセージを今後もずっと発信し続けていく必要があるだろう。



とにかく、虐待された事実も、過去の出来事も、あなたが恥じる必要なんて少しもないよ。
悪いのは虐待者。
責めを負うべきはあいつただ一人だけだ。


僕もあなたも、無事に修羅場から離れることができた。
「助かった」というこの事実にも、何かしらの意味があるのではないだろうか。
どうもそんな気がしてならない。


そう、全てはまだ始まったばかり。
本当のお楽しみはこれからだ。








2019年5月3日金曜日

トラウマ体験と二つの世界【前編】

回復へと向かう道の途中では、さまざまな現象が起こる。
中でもとりわけ気味が悪いのは

【自分の中に人が二人いるみたい】

という感覚ではないだろうか。


「自分の中に全くタイプの違う人格が二つある」といった異様な感覚、と言い換えてもよいかもしれない。
人格No.1は明るく、他人を簡単に信頼してしまいがちな、虐待前のあなた。
人格No.2は、虐待で身も心もすっかり疲弊し、被害妄想の囚われ人と化してしまった現在のあなた、だ。


Image by Pixabay

この背後にもきっと何らかのメカニズムが働いているに違いない。


よりわかりやすくするために、ここからは

【あなたの中に二人の違った人がいる】

ではなく、

あなたの中に【全く異なる二つの世界が同居している】

と、少しだけ表現を変えて話を進めていこう。


まず、あなたが日頃見聞きする世界というものがあるよね。
いわゆる【現実世界】のことだ


だが、この【現実世界】とは別に、全く性質の異なる世界、すなわち

【自分の心の内側でしか感じ取ることができない世界】

も同時に存在している。
これには大多数の人が同意してくれると思う。


人間は【心の内側に広がる世界】へと足を踏み入れることによってはじめて、全宇宙、生きとし生ける全ての存在との特別なつながりを体験できるものだ。
遠い昔、幼い頃の僕らは特に誰かから教えられたわけでもないのに、両方の世界を一人で上手に行き来していたのではないだろうか。



だが、「大人」への階段を上り始めると、そうした世界との付き合い方も変わらざるを得ない。
社会という小さな枠組みに自分を合わせる必要に迫られて、入りびたるのはもっぱら【現実世界】の方だけ、となっていく。
【現実世界】にどっぷりはまればはまるほど、もう一つの静かな世界、つまり【心の内側に広がる世界】は僕らにとって縁遠い存在となる。


そんな自分の偏り具合を知ってか知らずか、僕らは少しずつ自分の周囲に頑丈なバリケード(防塞)を築き始める。
迫り来る外敵から自分を守らねばならないからね。
社会の中での定位置が大体決まれば、その場所ぐらいは極力安心して過ごせるようにしておきたい。
そう考えるのは人間の性(さが)というものだ。
だから、ガードもますます固くなる。緩まる気配など全く見えない。


不安。虚栄心。挫折。
多少の傷など気にするな。かっこ悪いことも、恥ずかしいことも、バリケードを高くしておきさえすれば、何とかなるさ。
要は外から見えなきゃいいんだろう?...


こうした生き方が身に付くと、他人や物事をうわべだけで判断することにいささかの抵抗も覚えないような、薄っぺらな人間になってしまう。
【心の目で見る】ことなど、すっかり意識の外へ吹き飛んでしまったかのようだ。
気分は上々。今が良ければそれでいいのだ...。


それにしても人間というのはつくづく哀れな生き物だ、と思う。
この世に生まれ落ちたその瞬間から、保身用のバリケードをせっせと作らないではいられないのだから。
バリケードは毎日僕らに向かって「強くなれ」と叱咤激励し続ける。
ただ、それはあくまでも【現実世界】の好みにかなう、形だけ・表面だけの「強さ」を身につけよ、というだけのこと。
内面からにじみ出てくる正真正銘の強靭さとは似て非なるものである。


今まで生きてきて、何もかもがうまく運んだ、悪いことなど一つも無かった、などと言える人は、世界広しといえどもそう多くはいないだろう。
ある程度の人生経験があれば、誰だってそのぐらいはわかるはずだ。
災難、喪失、傷心...。
生きる、というのは数多くの困難をくぐり抜けていくことだ。
困難に見舞われるたび、僕らが頼りにしている鉄壁の【バリケード】はあちらが削られ、こちらが欠け落ち、またあちらが砕かれて...といった具合に、ダメージを被る。
元の立派な姿は徐々に失われ、みすぼらしさの方が目立つようになっていく。


とはいえ、人生もはやこれまでだ、どうせ残りは消化試合だし、なんて早々と諦めてはいけない。
だって僕らの人生・第二幕はまさにここから先が一番の見せ所なのだから。
苦労を重ねて多くのことを学んだおかげで、以前なら見向きもしなかったもう一つの世界...【心の内側に広がる世界】...との失われたつながりを、ようやく僕らは取り戻し始める。
もう焦ることはない。急がなくてもいい。一歩一歩進めばいい。
前よりも随分と賢くなった。世間の荒波にさんざんもまれたけれど、それは決して無駄ではなかった。
以前とは違い、周囲の人々にも慈愛のこもった眼差しを向けられるようになった。


「ああ、あれは完全に若気の至りだった...」
「随分とバカなことやったもんだ。我ながら呆れるよ。」
思わず赤面することも、首をひねりたくなることも山ほどあるが、今となっては結果オーライ。一つ一つが味わい深い思い出だ...。


...と、まぁ、これが大抵の人にとっての典型的なパターンではないだろうか。
(少なくとも僕の想像ではそういうことになっている。)


ところがそうした「人生再起動」の構図の中にトラウマ(心的外傷)体験が紛れ込んで来るとなると、話はややこしくなってくる。


僕らを襲った数々の「苦難」は、「サンドペーパーであちらこちらを徐々に削り取られるような...」といった詩的表現がぴったり来るような生易しいものではなかった。
常人の想像が及ばないくらいの、激烈極まりない体験だった。
なにしろ、自分を守ってくれるはずの【バリケード】が一瞬にしてガラガラと音を立てて崩れ、全てが無に帰してしまったのだからね。


頑丈な【バリケード】さえあれば、自分をしっかり守れるはずだ。
そう考える人は決して少なくはない。
だが、あなたの場合は、そもそも築き上げたバリケード自体が大して頑丈ではなかった。
元々が脆弱だったからこそ、奴からきつい一撃を食らっただけでいとも簡単に崩落し、以来再建のめども立たず、というむごい結果になったのではないだろうか。


相手から無慈悲に切り捨てられて、バリケードが完全に崩れ去り、無防備な状態でいる。
それが今のあなただ。
だからこの時期は自分の発言や行動にも細心の注意を払わなければならない。
些細なことで他人に当たり散らしたり、はたまた他人を傷付けたり、ということをうっかりとやってしまいがちなんだよね。
慎重になるに越した事はないよ。


あなたは今、他人のやることなすこと全てに対して神経過敏になっているんじゃないかな。
これ、傍から見ていて実に危なっかしいんだよね。
そもそも、自分が一体何をやっているのか、あなた自身もよく把握できていないんだろう?
(もっとも、「何をしているのかよくわからない」という状態はかなり前から続いていたよね。別に昨日や今日始まったことではない。)


他人にべったり寄りかかる。
一人になるのが耐えられない。
辛かった頃の話に耳を傾けてくれそうな人がいれば、誰彼構わず捕まえて、思いっきり愚痴を吐かせてもらう...。
近頃、そういった行動に出てはいないだろうか。


一方で、以前大好きだった物を見ても聞いても、感情がピクリとも動かない、麻痺したように無反応、ということもある。
これもまた、捨てられ体験を経た人特有の症状だ。
「ああ、そういえばそんな時期もあったっけ...」と、あたかも故人の思い出話でもするかのように淡々と自分の過去を回想する。
昔は良かった。毎日が明るく、楽しく、そして色鮮やかだった。だけど今は違う。何もかもが変わってしまった...。


一体どうすればいいのだろう。
何もかもが「行き詰まって」しまったかのようだ。


でも、「行き詰まった」と言っても、それは一体どちらの世界での話なのだろう。
【現実世界】で、なのか?
それとも【心の内側に広がる世界】で、なのか?


少しずつ傷が癒えるにつれて、あなたの内面にもじわりじわりと変化の波が押し寄せてくる。
ここであなたはようやく、子供の頃に離れたきり一度も戻っていなかった領域、すなわち【心の内側に広がる世界】へと再び足を踏み入れることになる。
驚いたことに、そこであなたを迎えてくれたのは平和、そして安らぎに満ちたすてきな世界であった。


想像力。

霊性。

愛。
もちろんこれは正真正銘、本物の愛のことだよ。


自分アゲアゲ、自分さえよければ他人はどうなろうが関係無い、といったサイコパスならではの、フェイクで嘘まみれな「愛」なんてもう二度とごめんだ。
僕らが本当に欲しいのは、嘘偽りとは一切無縁な、純度100%の本物の愛。
それ以外の「愛もどき」なんて、きっぱりと受け取り拒否でOKだ。


それにしても、あの頃の僕らはあんな奴らに一体何を期待していたのだろうか。
所詮、こちらがどんなに誠意を尽くしたところで、悪臭プンプンの汚物を平気で投げ返して来るようなろくでなしでしかなかったのにね。


今、あなたの心にはぽっかりと巨大な空洞ができているはずだ。
これからは自らの力でその空洞を埋めていこうじゃないか。
持ち前の豊かな共感力と慈悲心とをフル稼働させて、壊れてしまった部分を補修していこうよ。
少しずつで構わないから。


大丈夫。きっとできるよ、あなたなら。
だって、共感力や慈悲心といった素晴らしい性質は、最初からあなたの中にちゃんと備わっていたのだから。
あいつと出会うずっとずっと前から、変わることなく...ね。