2019年1月16日水曜日

【番外編】動画紹介:隠れ自己愛/Covert Narcissism 10の特徴(前編)

以前、こちらの「別棟」に掲載しました【隠れ自己愛/Covert Narcissism】についての文章。

【隠れ自己愛人間】。...知ってた? 
https://sayonara-psychopath.blogspot.com/p/blog-page_7.html


どうも日本ではあまり広まっていないような気がしますね、この呼び方。


少なくとも、精神医学・心理学といったアカデミックな分野では全く使われていなさそうです。
まぁ、私の検索の仕方が悪いのかもしれませんが。


(ひょっとしたら既に定まった訳語が他にあるのかもしれません。ご存知の方、いらっしゃいましたらぜひ教えてください。日本語の参考書籍も紹介していただけると大変ありがたいです。
コメント欄や訳者への直メッセージ欄をお使いください。)


こちらの翻訳ブログを始める前(2013年初め頃)から、人格障害、特に「サイコパス」「ソシオパス」「ナルシシスト(自己愛性パーソナリティー障害)」といった検索語を入れて出て来るYouTubeの英語動画はいろいろと見てきたつもりです。


その中でも、近年物凄い勢いで増えているのが、Covert Narcissists (隠れ自己愛人間)を扱った動画なんですよ。
英語圏では少しずつ日常語として定着しつつあるようですね。
しかも、そうした動画の一つ一つに「ありがとう!まさにこれは私の元夫(妻、彼、彼女...)のことだ!」といった痛々しいコメントが寄せられているんですよね。それも何十、何百といった単位で。


ということで、こちらの「さよなら、サイコパス~Psychopath Free~」をお読みくださっているみなさまにも

【隠れ自己愛】=【Covert Narcissists】


というキーワードをそろそろ覚えていただいてもいい頃ではないか、と思います。
試しにYouTubeで検索かけてみてくださいな。びっくりするほどたくさんの動画(英語)が出てきますから。



今回は、数ある動画の中でも画像を多用し、大変わかりやすくまとまっているJennuine Soulさんの一本を取り上げて、この【隠れ自己愛】と呼ばれる人々の特徴を見ていくとしましょう。


本ブログの読者の方にはお馴染みの内容ではありましょうが、それでも一つや二つは新たな発見があるかもしれません。
ざっくりとした訳(かなり大胆に意訳したところもあります)を付けましたので、ご参考になさってください。
英語が苦にならない方は、字幕機能をONにしてご覧になるのもおすすめです。




【冒頭の図】

顕示型自己愛~被害者を短時間で疲弊させ、力を奪う。わかりやすい。

隠れ自己愛~被害者をじわじわと、時間をかけて弱らせていく。わかりにくい。


【聖書引用】
ヨハネの第一の手紙(口語訳)第4章4-1 

「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、
それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。
多くのにせ預言者が世に出てきているからである。」

聖書にも書いてある通り、人と付き合う際は「良い実をつける」ような人かどうかをきちんと確認した上で先へ進まねばならない。
付き合い始めの短い間だけならば「善人のふりをしてごまかせる」という人は、世の中に大勢いるのだから。
そう、にせ預言者のように。


顕示型自己愛は至るところで目にするし、遭遇したらしたですぐに気付くことができる。
「わかりやすい」類の自己愛だ。


だが、隠れ自己愛(Covert Narcissists)は普通の人の中に「紛れ込んで正体を隠す」のが上手い。
すぐにその本性を現わすことが少ないため、外からは「わかりにくい」。
聖書に登場する「羊の皮を被った狼」とは、この手の人々のことである。


今回のビデオでは、「不毛な魂」の持ち主である隠れ自己愛の特徴を10項目、ご紹介していこうと思う。
今身近にいる人が隠れ自己愛だったと気付いた時に、慎重かつ賢明な対処ができるように。



1・「愛ある人」「与える人」「忠実な人」といった、【善意の人】のふりをする




...少なくとも、他人から見られている間だけは。


そうした行動は本心から出たものではないので、彼らのやることなすことはとにかく薄っぺらい。
「いい人」という外面をキープすることを何よりも優先する。
それが隠れ自己愛の特徴だ。


そのくせ、外からの批判には過敏に反応する。
一応、その場は涼しい顔をしてやり過ごすものの、内心は怒りでメラメラ。その怒りはずっと自分の中に溜めておく。
そして後日、ここぞというチャンスが来たら「仕返し」という口実の下、溜まった怒りを被害者めがけて一気にぶちまける。


残業も厭わずせっせと働く。
友人や家族のサポートに奔走する。
それもこれも、何か起こった時に「あの人はこんな素晴らしい人なんですよ」と太鼓判を押してくれるような味方の証言者を一人でも多く獲得しておきたいがためだ。

(この画像、最高です!
表に見える良い部分は「氷山の一角」に過ぎない、と。
本当に怖い4分の3は隠されていて、大多数の人には見えないんですよね...。)



人を煙に巻く技術、つまり催眠術には長けている。
理由はよくわからないが、この人のために何とかしてあげたい、この人と一緒にいたい、だってこの人は「いい人」だから...と他人に思い込ませる才能は持っている。
それも全て、巧妙に彼らが仕組んだ筋書き通りの展開だ。
被害者が「仕方ない、この人には借りがあるし…」と思わざるを得なくなるような流れへと持ち込むのだけは、抜群に上手い。




2.「私は絶対悪くない」






隠れ自己愛の「私は絶対悪くない」は、いわゆる受動攻撃(passive-aggressive)というややこしい形を取って表現される。
悪いのはいつもあなた。
隠れ自己愛はいつも正義の側。
全責任をあなた一人になすりつけておいて、「被害者」役を熱演するというのが彼らお決まりのパターンだ。


地域コミュニティにとっては欠かせない、善意あふれる、働き者の隠れ自己愛。
少なくとも周囲の人々からはそう見られている。
...あんないい人を悪者呼ばわりするなんて、どうかしてるよ。
...ねぇ、アナタの方が悪かったんじゃないの?

(ボランティア、スピリチュアルなコミュニティ、チャリティ団体...。
疑いたくはないですが、そうした活動に励む人々の中には
「善良な人」との評価をGETするべく、
必死の演技を続けている隠れ自己愛が
一定数混入している。
そう見て間違いないでしょう。残念なことです。)


万が一悪事がバレたとしても、彼らは「悪かった」と本気で謝罪する能力などこれっぽっちも持ってはいない。
だって自分が悪いと認めてしまったら、ここまでさんざん苦労して保ってきた「善意の人」というイメージが一気に崩壊してしまうじゃないか。


証拠?
はぁ?
それ、何のこと?


内心、隠れ自己愛はこう思っている。
「ふん、私がいなかったら何もできないくせに!この無能どもが!」


3.非常事態に直面しても、異様に落ち着きはらっている






不測の事態が起こっても、動じた様子は見せない隠れ自己愛。
「沈着冷静な人」「問題解決の達人」との印象を人々の目に焼き付けることで、「さすがだね。やっぱりあの人は頼りになる!」と信じ込ませたいのである。


普通の人だったら不安・心配といった感情に圧倒されてしまうかもしれない。
そんな状況にあって隠れ自己愛が異様なほどに落ち着いているのは、ひとえに人から一目置かれたいがためである。
他人から崇められたいのだ。


ところが、状況が一転して、隠れ自己愛の身に何らかの災いが降りかかったとしよう。
彼らはたちまち【犠牲者】【哀れな被害者】へと役柄を変え、お涙ちょうだいの熱演でもって人から憐れんでもらおうとする。
あなたが後ろめたい気持ちを抱いたと見ると、待ってましたとばかりに本当に欲しいものを奪おうと襲いかかって来るはずだ。


隠れ自己愛には情けなど無用だ。
助けてやったところで、感謝されることなどまず、あり得ない。
あなたがどれほど尽力してやったとしても「無かったことにされる」か、もしくは「別に大したことじゃなかった、一人でもやろうと思えばできた」とぬかされるのが落ちだから。


4.やることが卑劣。態度は曖昧。





隠れ自己愛のやることなすこと全てには、曖昧さがつきまとう。
誰かと関わっていて、頭の中が混乱し、煙に巻かれたような状態が続く上、相手の発言や行動の裏を探偵よろしく深読みしなければならないことが増えてきた、としよう。
その相手、隠れ自己愛と見てほぼ間違い無い。


まともな人間ならば、相手に自分の真意がきちんと伝わるようにそれなりの努力をするのが普通だ。
だが、隠れ自己愛はその逆を行く。
わざと曖昧な言い方をし、秘密を作り、情報を遮断する。
そうやってあなたを「虐待」するのだ。
何度も、しつこく。

(後編へ続く)https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2019/01/covert-narcissim10_16.html

4 件のコメント:

  1. こんばんは、先日前々記事でコメントさせていただいた者です。
    あくまで「一意見」としてでコメントするという事、その区別がある事を望みます。


    対立構図を明確にし、嘆き悲しむ人を「あなたは悪くない」とする心理テクニックも、思う所としてあります。
    この辺、バランスを取るという言葉を発しつつ矛盾した姿勢の示し方に「ダブルバインドな示し方」を、思う。

    嘆く人が必ずしも被害者であるとは限られていない。
    泣いていれば憐れんでくれると学習した確信犯もいる。
    そう装う事で自らの非を誤魔化す手段を確立している人もいる。
    こう捉える事こそ「疑心に塗れた悪の表れ」と言い放つ事も出来る。
    突き詰めればキリが無い所である事を、一先ず。

    さて、では上記の様な人に遭遇し被害に合った人、その人はサイコパスと言えるだろうか?と。
    サイコパスという主旨のブログ様です。
    ここに異論を挟めば情報発信自体への阻害も思われてしまうので、尚の事、言えなくなる

    私が思う「ありきたりな人」というのは、
    「被害者で在りたがる悪人。被害者という立場こそが攻撃を正当化できる事柄だ、という姿勢を示す。」
    加害者がサイコパスと限られていないと、私は思う。

    喜びと幸せの絶頂、そこからジェットコースターの様に落とされる失意・絶望。
    これらテクニックと言い換えれる物、そう啓発されているのが一般社会上で発信されている情報。
    その境目は何処なんだろう?
    被害者の有無だろうか?
    善人悪人関係無く、ふれあう事すら加害、存在を認識される自体が加害、こういった所まで突き詰めて考えてしまう。

    私はこれら答えを持たず今、書いています。
    書こうと思った理由は「そう示された被害者とされる人の心に与えられた価値」を想うからです。
    音楽や舞台等といった芸術、それへの感動、、、同じようにあるのじゃありませんか?と。
    有形の価値、無形の価値、後者を蔑ろにして良いとは言えない。
    何故なら、心に波風を立てる騒めきも、芸術を生み出す材料となっているものだから。

    「憎しみの種を植えるより、感謝の花を咲かせ愛でるで良いのではありませんか?」と、賛否批評を思われてしまう言葉を書いてしまう。。
    私は幼少の頃から嫌なものばかりが傍にあったから、卑下する物を極端に嫌ってしまう傾向がある為、言ってしまう
    明確化する為に対立構図を浮き彫りにする「争いが先か?悪が先か?」という疑問に至る。
    バランスを取るという事は波風を立てないという事とは違っている、
    ハナから心を殺しておくという事とは全く違っている。

    こういった一見「真理に近いかの様な書き方・伝え方」が誤解を招く事にも繋がるから
    「どちらが先にあったんだろうね?」という所に至ってしまう。
    社会上の「良いとされる事柄」それが生む「歪の様な気付かれない悪」、色々考えてしまう。


    ちなみに今記事と前記事、その通りだと思いますよ。
    そして間違っているとも思う。
    同時に思うと言うよりも「突き詰めて考えてみると」これまた、どちらかが先に思ってどちらかが後に抱える結論となる。

    的を射ず、オチもない意味不明なコメントをすいません。
    ただ、見ていて「心の触れあいは乏しいのでは?」と感じたのでね。
    何が正しい、何が間違い、時代に則して変化するとしても、やった者勝ちと肯定する事になる。
    ・・・キリが無いですねw
    各々、自分の好ましい位置を確立できたなら、こういう疑問も少なくなるのだろうけど、、、やはりキリが無い事ですね。

    正しいは何処にもないままと理解した上で吐露しているでしかないコメントとして、区別がある事を望みます。
    加えて、長いんで、公開していい内容なのかどうかも分からないままコメントしているって事もw

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  2. 匿名様。
    コメント拝読しました。

    「さよなら、サイコパス」の翻訳ブログは、以下のような方針の下、続けられています。

    1.「自分が至らなかったから、大切な人に捨てられた」
    と思わざるを得ないような状況へと追い込まれ、絶望・鬱・罪悪感に苦しむ(苦しんだ)すべての被害者を、力強く「サバイバー(生き延びた人)」へと変えるためのお手伝いをする。

    従って、【被害者叩き(victim blaming)】と受け取れるような言動は、被害者の回復の妨げとなるため、断固として拒否する。

    大病直後の弱っている人を、インフルエンザ大流行中の時期に満員電車に押し込んで、わざわざウィルス責めにはしないですよね。
    一日も速やかに回復できるよう、できるだけ良い環境を整えてやる必要があります。
    心の傷もそれと同じでしょう。
    充分な強さを回復するまでの間は、余計な雑音からはなるべく遠ざかった方がいいのです。


    2.被害者は、他人との境界線(バウンダリー)をあいまいにしたままで大人になってしまった。
    良く言えば素直で純粋、悪く言えばずるさや腹黒さに無知で鈍感な人が多い。

    本ブログでは

    「悪は確かにこの世にある。その事実を否定してはいけない。」

    と訴え続ける。
    繰り返し訴えることによって、頑なな【性善説信奉者】であった被害者がより現実の世界に即した人間観を持つようになってほしいからである。

    3.【キレイゴト】【ポジティブな物言いへの変換】でもって、【邪悪さ】の存在をうやむやにし、被害者が受けたダメージを矮小化するようなことはしない。
    また、そうした矮小化しようとの動きにははっきりと反対する。
    「ダメなものはダメ」と声を上げる。

    この3つです。

    匿名様のおっしゃる
    「心の触れ合い」は、被害者側に言わせれば3の「加害者に都合の良いポジティブ変換」と読めてしまいますね。
    セクハラ行為の加害者が「ただのスキンシップのつもりだったのに」と言い訳するのと似ています。
    加害者が何と言い逃れしようと、被害者は境界線(バウンダリー)の侵害に遭い、ダメージを受けたのです。

    そのような精神的な被害を、芸術表現と比べるのはいかがなものでしょうか。
    芸術で傷つき、長期間社会でまともに機能できなくなる、人間不信になる、なんて例、管理人は寡聞にして聞いたことがありません。

    >>>「憎しみの種を植えるより、感謝の花を咲かせ愛でるで良いのではありませんか?」

    良くないです。

    正しく怒るべき時には、正しく怒るべきです。

    「感謝」といったキレイゴトで自分を再度ごまかしたところで、根本的な解決にはつながりません。

    これ以上のやり取りは不毛でしょう。
    おっしゃりたいことがあるならば、どうぞご自分のブログやSNSをお使いになってください。

    まことに勝手ではありますが、

    「被害者を、サバイバーにするためのお手伝いをする」

    という1.の趣旨に反するコメントとブログ管理人が判断した場合、次回からは掲載を控えさせていただきます。

    返信削除
  3. 電子うさぎ2019年2月14日 16:57

    隠れ自己愛の記事を読んでいて、「あ、日本にもいるっ」と思いました。
    身近な所では、「アスペルガー受動型が、DV/モラハラ、各種abuseを行っている状態の人」で、相手はカサンドラ情動剥奪症候群に陥っています。

    解決策は「離れる事」「自分の自尊心を回復させるための時間を持つために心身ともに休む事」「相手を宇宙人だとして関わらない事」

    ブログ主様の仰る「隠れ自己愛」の行動、言動が、ほとんど全くと言っていいほどあてはまるのは「アスペルガー受動型」だと、ふと気が付きました。

    (私は、別居して距離を取るまでに16年間かかりましたが、自尊心の回復の過程は、重なる部分が多く、記事に助けて頂いています。
    私自身、アスペルガーという言葉に惑わされておりましたが、やっている事は「隠れ自己愛」と全く同一だと感じます。)

    いつも、記事のUP、ありがとうございます。

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  4. 電子うさぎ様(←すてきなHNですね)
    コメントありがとうございました。
    アスペルガーについては私もまだまだ勉強が足りないのですが、【受動型】というカテゴリは今回初めて知りました。入門書を買ってそのまま放置していたので、今度じっくり読んでみることにします。

    呼び名や診断名はどうあれ、

    一緒にいて苦痛でしかないような人間関係

    に耐えるだけが人生だ

    ...なんて、思いたくはないですよね。
    もっと別の生き方をしてもいいんだ、逃げていいんだ、と、私もこの本を通じてジャクソンさんとお仲間たちに教えてもらいました。
    自分が壊れる前にできることはしたいですよね。

    16年間ですか...。長い間、お疲れ様でした。

    電子うさぎ様が今後も安全な場所で、治癒に専念されますように。
    こちらこそ、お読みくださってありがとうございます。

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