2018年11月29日木曜日

瀕死の共感能力

瀕死の共感能力

からっぽになった心。
麻痺したかのように何の反応も示さない。
周りで何が起ころうと、誰が何をしようと、どうでもいい。自分には関係無いから...。
しばらくはそうした虚無感に苛まれるだろう。
だが、この段階は避けて通れないのだ。
サイコパス被害を本気で克服したいのならば。


誤解の無いように言っておくよ。
心が麻痺し、外界からの刺激に無反応になったとしても、あなた自身が「サイコパス」と即、決まるわけじゃない。
二つは似て非なるものだ。


確かに、今のあなたがピクリとも動かぬ「無反応」な状態にあるのは事実だ。
でもね、これは100%あいつのせいだよ。
あれだけぞんざいな扱いを受け、操り人形のように利用されたのだから、感情が麻痺しない方がおかしいよ。
元のような自然な感覚を取り戻すまでには、相当長くかかるかもしれない。


何を見ても、何を聞いても「反応無し」。
普通、これはサイコパスの特徴とみなされる。
だけど、本物のサイコパスだったら「ああ、いつまでも純真無垢なままではいられないんだなぁ…」と、無邪気だった頃の自分を懐かしみ、何ヶ月もどっぷり感傷に浸る、なんてことはまず、やらない。
また、ほろ苦い失恋体験を頭の中でロングラン上映し続ける、などといったこともあり得ないだろう。


今はただ冬眠しているだけなんだよ。
あなたの心も、あなたの共感能力も。
でも、冬が終われば必ず春が来る。
熟睡中の熊さんだって、季節が変われば穴の外へと出て来て、元気な姿を見せてくれる。それが自然というものだ。


現在のあなたもそのように考えればいいさ。
今はただ、目の前にある片付けなきゃいけないことだけ片付けていけばいい。
そうこうしているうちに月日が流れ、気が付いたら以前にも増して感受性豊かで、より思いやりあふれる素敵な人へと成長できているんじゃないかな。


だから心配する必要なんて無いんだ。
心が麻痺して無反応状態だからといって、何もそれが永遠に続くわけじゃない。
一過性の症状だよ。いつかは消えてなくなるさ。
そのうち心から無反応という迷惑な客を追っ払える日も来るだろう。そうなったら、入れ替わりで楽しいことやうれしいことが舞い込んでくるはずだ。
さすがにそこまで来れば否が応でも動かなきゃ!って気分になると思うよ。


以前僕がお勧めしたこと、覚えているかな。
「新しい友人関係・交際関係を開拓したいのはやまやまだろう。
でも、少なくとも数か月は猶予期間を設けるべきだ。」
この本の初めの方に書いたよね。



【参考過去記事】「ハゲタカに気を付けろ」https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2015/01/blog-post_31.html


いいかい。くれぐれも早まらないで欲しいんだ。
焦って誰かをつかまえてみたところで、どうにもならないからね。
そのうち欲求不満という分厚い壁にぶち当たるのは火を見るよりも明らかだ。
止めた方がいい。開いた傷口にわざわざ自分で塩を塗り込むようなものだから。


こういった時期はどんな相手を選ぼうが、行き着く先は皆同じだよ。
サイコパスとの関係で体験したあの熱烈な恋心。
高揚感。
別の人を相手に、あのハイな気分よもう一度、なんて期待するだけ無駄さ。どうせ裏切られ、ガッカリするだけだ。
「あーあ。今度の彼/彼女、ハズレだったかも。あまりマメじゃないし、気も利かない。それに身体の相性もイマイチなんだよね...。」
気が付けば相手への不満ばかり口にしているあなた。
そんな醜い自分にふと気付いてしまい、またしても気が滅入る。
まったくだ。いいことなんて一つもありゃしない。


これ、「ポスト・サイコパス(サイコパス後)」期の人間関係でついやりがちな失敗パターンだ。
ずるずると引き延ばしたところで、その努力は徒労に終わるだけ。
しかも、そこで傷つくのはあなた一人だけじゃない。
巻き込まれた相手はもちろん、周囲の人だってあなたと同じように傷を負うんだ。


そもそもあなたの場合、共感能力という基礎部分がひどく損なわれている上に、後ろめたさという重荷まで背負って新しい相手と付き合おうとしているんだよね。
うまく行ったらむしろ奇跡だと思うよ。


そう。
できないことは、できないんだ。ここいらで腹をくくろう。
だから、「ちゃんとできていない、ダメダメな自分」を過度に責めて、悪者扱いするのはもうやめようよ。


今は自分の内側をじっと見つめるべき時期なんだよ。
他人に頼ることはない。
あなた自身があなたにとっての最良の友になってやればいいじゃないか。


「あなたは自分にとっての最高の友達にもなれるし、
また、最悪の敵にもなれる。
さて、どちらがいいかな?賢く選んでね。」

とはいえ、いつまでも内側にばかりこもってばかりはいられないのが現実世界の辛いところだ。
だから、ある程度内省に時間を費やしたら、どこかでエイヤッと区切りを付けねばならない。
エンドレスな思考の流れにストップをかけて、外の世界に目を向けよう。
そしてリアルな人生への復帰を果たすのだ。


人によってはそこへたどり着くだけでも数年はかかるかもしれないね。
でも、外に出ていく時期が来れば、必ずわかるよ。
あなたの心の奥深い場所から「準備はOK。前進だ!」って合図が聞こえてくるはずだから。


内省するのは大切だ。
でも、それも度を越せばかえって毒になることもある。


「程良い分量の内省」という長いトンネルを抜けたあなたは、以前とは一味も二味も違う人になっていることだろう。
自分の内側を見つめてきたから、いろいろな分野についての知識も得られた。
同時に、人生をゼロから作り上げていく能力にもさらに磨きをかけることもできた。


内省は多過ぎてもいけないし、少な過ぎてもいけない。
匙加減が難しいけれど、自分にとっての適量をうまく見極められたらいいね。




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