2019年9月28日土曜日

無邪気さの消失【4】

「普通」で「幸せ」だったあの頃。
戻れるものなら戻りたい...。
そんな願いを抱くサバイバーは少なくない。
でも、ちょっと考えてみて欲しいんだ。


あの頃あなたが体験したことのうち、何が、どれだけ「ホンモノ」だったのかな、ってこと。


かつてのあなたは目の前にある負の要素を揉み消しては、それをせっせとポジティブな出来事へと脳内変換しようと必死になっていたよね?
そんなの忘れた、なんて言ってもらっては困るよ。


どこまでが「ホンモノ」であり、どこからが「投影」(※注)という形を取って他人の手により映し出された毒まみれの虚像だったのか。
そもそも「ホンモノ」成分の割合なんて、全体のうち大体何パーセントぐらいあったのだろうか。
今思い返すと、何もかもがうさん臭く見えてくるから不思議だ。

※注:以下、前々回掲載部分・「無邪気さの喪失【2】」からの引用です。
【当時の僕らがやっていたのは、僕ら自身の中にある善良さというフィルムを、無意識のはたらきという映写機を使い、正面のスクリーン、つまり目の前に現れた人物の上に投げかけて作品を映し出す、といった作業であった。
これ、世間で言うところの「いい人」ほどやってしまいがちだ。
で、「ああ、この人もきっといい人に違いない」と早々に評価を下してしまう。 
こうした心のはたらきは「投影(projection)」と呼ばれている。】


特に、今回のように後々まで尾を引くようなトラウマ体験を経た後では、心の中の光も消えかかり、暗闇に一気に呑み込まれてしまいそうな危うい状態にある。
以前なら「人間は基本的に善だ」と信じていられたけど、もうそれも無理。会う人全員に裏表があるんじゃないか、とどうしても勘繰ってしまう。


ね?
あなたは「あの頃」を懐かしがっているわけじゃない。
あなたの心の中を照らしていた光が失われていった、という事実。
単にその事実を嘆き、惜しんでいるに過ぎないんだ。
それを「あの頃は良かった、もう一度戻りたい」といった気持ちと取り違えてはちょっとまずいんじゃないかな。


以下、僕がPsychopath.Free.comの人々から集めた声のうち、代表的なものをご紹介しよう。


...できることならこんな暗黒のような思いは味わいたくなかった。
(これについては全員の意見が一致。)

...犠牲者になどなりたくはなかった。

...かつての幸せと喜びに満ちた日々を取り戻したい。

...まだ怒りがおさまらない。でも、一番腹が立つのはこんな状況に自分を追い込んでしまった張本人がほかならぬ自分だ、ってこと。

...生まれてこの方、「人を許すのは良いことだ」と教えられ、ずっとそれを実践してきた。
なのに、許そうとしたって許せないような卑劣なサイコパスに当て逃げされ、大怪我するなんて。何でこうなるの?

...一体どうして? 何のために私がこんな目に遭わなきゃいけないの?

...ここまでメチャクチャに人格破壊されてしまっては、復旧の見通しも全く立たない。身も心もズタズタ。とても起き上がれそうにもない...。


あなたもきっと、このような問いを幾度も幾度も自分に対してぶつけてきたのだろうね。
大丈夫。
時が経てば、答えはちゃんと出るさ。
というか、あなた自身が自分の力で何とか答えを導き出せるようになるはずだ。


かつて、あなたの心の中には「無邪気さ(innocence)」という美しい宝物がひっそりとしまわれていた。
皮肉なもので、当の本人はそんな宝の存在になど全く気付いていなかったけどね。
そういう宝を心に持つ人だったからこそ、あなたは誰に教えられたわけでもないのに、愛、そして思いやりの心を他人へと捧げ、他人に奉仕するという生き方がごく自然にできていたんだね。
だがその愛はあくまでも他人へと注がれるばかりの一方通行。
あなた自身を育み、あなた自身を潤すために使われたことは、残念ながらほとんどなかった。


今、こうして一歩一歩治癒へと向かって進むあなたの前に、最後の難題が立ちはだかっているのが見えるだろうか。
気持ちの上では相当の抵抗を覚えるんじゃないかと思う。
でも、どうしてもここを避けて通るわけにはいかない。
必ずやクリアしないといけない重要課題なんだ。


自分を尊いと思う気持ち/自尊心(self-respect)を見つけよう。 

他者との間には健全なバウンダリー/境界線(boundaries)をしっかりと引こう。自分は自分、他人は他人...だ。



境界線(バウンダリーズ)
境界線(バウンダリーズ)
posted with amazlet at 19.09.27
ヘンリー・クラウド ジョン・タウンゼント
地引網出版 (2014-10-01)
売り上げランキング: 138,085

 【人が成長の過程で虐待を受けると、境界線の役割を逆転させ、悪いものを内側にとどめ、善いものを外側に閉め出してしまうことが往々にしてあります。メアリーは子供の頃に父親から虐待を受け、適切な境界線を作ることができませんでした。 その結果、彼女は心を閉ざし、痛みを内側にこもらせてしまいました。メアリーは自分から痛みを表現し、心の外に出すことをしなかったのです。また、彼女を癒そうとする外からの援助に対して心を開くこともしませんでした。さらに、他者が絶えず彼女の心の中にさらなる痛みを「落として」いくのを許していました。そのため彼女が助けを求めに来た時には、多くの痛みを抱え、いまだに虐待に遭い、外からの援助に壁を作って心を閉ざしている状態でした。
メアリーは境界線の機能を逆転させなければなりませんでした。彼女には、悪いものを外に閉め出せる充分に強固な柵と、すでに内側にある悪い物を外に出し、なくてはならない善いものを内側に入れるための門が必要だったのです。】 
(「境界線」ヘンリー・クラウド ジョン・タウンゼント、地引網出版、2015、改訂新版、p.45)


自分を他人の尺度にばかり合わせるのはもう止めよう。
 少し周囲の人間を観察してごらん。改めて見てみると、彼らの行動パターンがあなたのそれとは随分とかけ離れていることに驚くだろう。
「え?こんな風にやるのが当たり前だと思っていたんだけど?みんな、そうじゃないの???」
不思議に思うだろうけど、実は当たり前じゃないんだよね。あなたがいつもやっているようなやり方は。


他人の心にそっと寄り添い、思いやりを持って行動する。
愛にあふれ、愛想良く人に接するけれども、全然気取っていない。
責任感が強く、それでいて気が利く。
出会う人・触れる物、全てに対して親切心を忘れない、そんな心優しき人々...。


もし、地球上に生きる誰もがあなたをお手本とし、あなたのように行動するようになったならば、世界は果たしてどれほど暮らしやすい場所になるだろうか。

 pixel2013/S. Hermann & F. Richter@Pixabay


とはいえ、心の中の光が消え失せ、闇落ち寸前といった今のような状態では、さすがのあなたであっても傷付き弱った周囲の人々を治し、元気にしてやるなどという離れ業は到底できるわけがない。


だから、この時期には付き合う人々をよくよく吟味しなければいけない。選に漏れた人々とは無理に距離を詰めなくてもいいのだ。
あなたと似たような美点を備え、そしてあなたの最も素晴らしい部分を真っ当に評価してくれるような人々。
今はそのような性質を備えた人々と交わることだけを考えていればいい。


「もっと早くにそうしていれば...。」
口で言うのは簡単なんだよね。
でも、「無邪気さ」が消え失せた後でないと、からくりの全貌は決して明るみにならないものだ。
一度最初から最後まで通り抜けてみない限り、その仕組みを完全に理解するのは難しいと思う。
何もかもが終わった今だからこそ、あなたはこの世界をあるがままに見られるようになったのだ。
機が熟して、待ちに待ったチャンスがようやく到来したんだね。


旅はまだまだ終わらない。
「あなた」という一人の人間を見つけ出すことが目的なのだから。
そのテーマはこれまでと同様、これから先もずっと変わることはないだろう。


そう。
「自分を見つける」。それこそが旅の真の目的だったんだ。
もう何も迷うことはないよね。
大空へと自由に飛び立つための準備は全て整っている。
後はあなたが翼を広げ、羽ばたいていくのを待つだけだ。






2019年9月18日水曜日

無邪気さの消失【3】

時が経つにつれて、あなたの中にはそれまでに一度たりとも経験したことのないほどの激烈な怒り、そして巨大な虚しさとがわき上がってくるだろう。
その怒りと虚しさに嘘偽りはない。正真正銘の本物だ。
だが、あなたは恐らくそれらを表現する術を知らない。
となると、後はただ途方に暮れるばかりだ。


とりあえずは周囲から期待され、求められている役柄、つまり「ハッピーでお気楽な私」という表向きの顔をそのままキープし続けるしかないのだろう。
下手に生の感情を露わにしたところで、多分誰一人として喜ばないだろうから。
本音はひとまず封印。それが一番無難だ。


しかし、心の奥深いところでは確実に変化が起こりつつある。
いよいよ光も消え失せてしまうのか、と危ぶまれたちょうどその時のこと。
突然あなたの中で何かがはじけ飛んだ。

「あの人たちが憎い!」
「もう、ムカついた!何なの、あの人たち!」
...あなたの中では今までずっと「友達」だと思っていた人々。
彼らに対してのいら立ちが急に抑えられなくなったのだ。
しかも、次から次へと噴き出してくる。


この時期に「友達」と会って時間を過ごすと、家に帰ってもなお頭の中でさっきの会話を再現しては
「あれって一体どういう意味だったのかな」
と考え込むことも多くなるはずだ。
一度その作業に没頭し始めたら、一時間や二時間なんてあっという間に過ぎ去っていく。


「私、心にも無いことばかり言ってたな」
...そうだね。確かに「あなたらしくない」発言はしていたよね。
しゃべりながらも薄々気付いていたんだろう?
今日も例によって「友達」連中は三度の飯よりも大好きな悪口大会で盛り上がっていた。
あなたも一応は彼らに調子を合わせていたものの、内心では「くだらない」と冷ややかな見方をしていたんじゃないかな。


ようやく光が帰ってきたね。
一瞬にしてあなたは正気を取り戻したのだ。
そうなれば、どうしても次の一言をつぶやかずにはいられない。
「違う!あんなのはユーモアなんかじゃない。だって全然面白くも楽しくも何ともないし!」


その瞬間、背筋にゾクゾクッと冷たいものが走っていった。
残酷な現実が稲妻のような激しさであなたを襲ったのだ。
「そうか...私、今までずっと、思いやりの欠落した人たちとばかりつるんでいたんだ...」


sethink@Pixabay

エネルギーが完全に枯れ果てた今のあなたは、まるで切れた電池のようだ。何かを始める気力など残っていない。
どう頑張っても力など出ないのに、今からロケットをドカンと打ち上げる作業に入らねばならない。今の心境はそんな感じだ。
一昔前だったら、何も考えず「好き!」という気持ちを全ての人に対して抱くことができた。
頭ではまだそうできたらいいな、と願っているものの、実際にはそんなの無理に決まっている。
みんな大好き、なんてセリフ、今じゃ口が裂けても言えない。



無慈悲な人々。
薄っぺらく、中身の無い人々。
そうした類の人々にはもうどうにも我慢ができない。
ここまで他人に嫌悪感といら立ちを覚えたなんてこと、今回があなたの人生で初めてではなかろうか。


例のサイコパスをなかなか忘れられず、甘酸っぱい感傷と共に思い出す時だって確かにあった。
でも忘れられなかったのは、別にあいつが「いい奴」だったから、ではない。
あなた自身が心に「光を持つ人」だったから、忘れ去るのが難しかっただけだよ。
あんな奴ではあるけれど、思い出はどうしても捨てられなかった。
それだけのことさ。

以前のあなただったら、悪を目の当たりにしても「臭いものに蓋」「見て見ぬふり」式の対処法を取ることにさほど違和感は覚えなかった。
所詮は二流三流なんだけどね、と気付いていながらも、他人が相手となれば称賛の言葉を惜しみなく送った。
そうすれば自分の点数が確実にアップするからね。



今となってはそれも過去の話。


ようやくあなたは自分の中にある光との和解プロセスに入りつつある。
もっとも、再び光に馴れ親しむようになったからといって、今すぐに幸福があなたの元に舞い込んでくるわけではないよ。
甘い期待は禁物だ。
もし、かつてのあなたが幸福感を感じていたとすれば、それはひとえに今は亡き「無邪気さ(innocence)」のおかげさ。
無邪気さがあなたの中で頑張っていい仕事をしていてくれたからなんだ。
やわらかで繊細な心が外敵に痛めつけられることがないように、周りをぐるりと取り囲んで防御してくれていたんだよ。


あなたは「傷ついた心を癒したい」って本気で思っているんだろう?
だったら、「無邪気さ」と、本当の幸福感との違いを理解した上で、両者をはっきりと区別できるようにならなければならない。
確かな識別力を養っていく必要がある。


かつてのあなたは、サイコパスや、いわゆる「友達」(実はあなたのことを糞味噌にけなしてばかりいたけどね。)と一緒にいた頃の自分は「幸せだった」と信じていたね。それが誤った思い込みであるとも知らずに。
よく考えてごらん。
当時、あなたは自分が心から幸せって言えただろうか?
幸せどころか、あらゆる点で人生が行き詰まり、壁にぶつかっていたじゃないか。
違うかい?


同様に、今はとにかく悲しさで心が押しつぶされそうだ、と感じている人もいるだろう。
だけど、「悲しい」からといって、あなたが「不幸せな人間だ」と確定されたわけじゃないよね?
むしろ逆じゃないだろうか。
あなたの人生は明らかに前よりも良い方向、幸せの方向へと向かっている。
確かに、心の中の光はまだまだ弱々しいかもしれない。
「もっと世界を楽しみなよ!」と誰かが励ましてくれたとしても、とてもそんな気分じゃない、というのが正直なところだろう。
毎日が辛く、しんどい。
仕方がないよね。今はそれ以外には何も考えられないかもしれない。


ただ、しんどいのは事実だとしても、何も永遠にもがき苦しみ続ける必要はないからね。
これは忘れちゃいけない。
あなたの心の中の光は、決して消滅してはいないのだから。
...いつかは必ず「時」が訪れて、再び表舞台に姿を現す日がやって来る。
今はその日をじっと待っているだけなんだ。


まだ頼りなく、一歩間違えばふっと消えてしまいそうな光でしかないかもしれない。
でもね、あなたが再び自信を回復し、他人と自分との間にしっかりとした境界線を引けるようになった頃には、あらゆることが変化していくよ。
大丈夫、心配しないで。
光はちゃんと戻るから。


愛。
霊性(スピリチュアリティ)。
そうした問題に対して、どのように向き合っていったらよいのだろう。
あなたもまた、自分なりの答を求めて今後も長い旅を続けていくはずだ。
そうこうしているうちに、光はますますその輝きを増していく。
いずれは誰一人として無視することなどできないほどに、心の中で大きな位置を占めるようになるんじゃないかな。


2019年9月11日水曜日

無邪気さの消失【2】

僕らの中からは以前のような無邪気さが消え失せてしまった。
残念ながらこれは事実だ。
僕らにはもう、絶えず他人を警戒し、片時たりとも気を抜くことができないような、そんな不毛な人生しか残されていないのだろうか。


いや、そんなことはないはずだ。


確かに無邪気さという性質は失われたかもしれない。
だが、それと引き換えに得られたものもある。
周囲の世界や人間関係を、より現実的な角度から冷静に見られるようになったじゃないか。
晴れてこうしたスキルを習得できたのだから、苦労した甲斐もあったというものだ。


もちろん、以前の僕らはこんなじゃなかった。
当時の僕らがやっていたのは、僕ら自身の中にある善良さというフィルムを、無意識のはたらきという映写機を使い、正面のスクリーン、つまり目の前に現れた人物の上に投げかけて作品を映し出す、といった作業であった。
これ、世間で言うところの「いい人」ほどやってしまいがちだ。
で、「ああ、この人もきっといい人に違いない」と早々に評価を下してしまう。


こうした心のはたらきは「投影(projection)」と呼ばれている。
多分、あなたにも思い当たるところはあるんじゃないかな。

https://pixabay.com

人の本性を見抜けるようになりたい。
あなただってそう思っているよね?
だったらまず、その人がどう振舞うのかをじっくりと観察する習慣をつけよう。
実際にどんな行動に出たか、に注目しよう。大事なのは言葉じゃない。行動だ。
そうすればその人の人となりについての情報はひとりでに浮かび上がってくるよ。
人物評価を下すのはそれから後でも決して遅くはない。



ね?
悪いことばかりじゃないよ。
サイコパス体験を経なければ、このような先々まで役立つスキルを身に付けるチャンスは得られなかったかもしれない。


最初の頃はとにかく悲しさで心が押しつぶされそうになるだろう。それ以外の感情はほとんど湧かない。
そもそも、無邪気さが完全に自分の中から消え去るまでの期間は、心の内側で何が起こっているのか、自分でもよくわからないはずだ。
なくなってはじめてその存在に気付く。
あなたにとっての無邪気さもまた、そういう類の性質だったようだ。


これまで虐待経験を無事乗り越えた人々(サバイバー)にいろいろと話を聞いてきたけれど、次のような感想を漏らしている人が案外多かったように思う。

【悲しみや怒りといった感情を、どうやって外に向かって表現していいのかがわからない。】

いやな顔一つせず、常に明るく、他人のために走り回っている便利屋さん。
生まれてこの方ずっと、家族や周囲の人々からはそうした役割を期待されてきた。
仕事をこなしていく上で、生々しい感情なんてものは邪魔でしかない。
湧いてきたら、即、封印。
彼らにとって、それはごく当たり前の対処法だった。


やがてこうした人々の内面世界は

【誰にでもきっといいところがあるはずだ。 短所ではなく、その人の長所に目を向けてあげよう】

といった「性善説信仰」にじわりじわりとむしばまれていく。
その思い込みは日に日に強まるばかり。一向に衰えることはなかった。
目の前で展開されている光景がどれほど醜く、そして忌まわしいものであってもなお、その頑固な性善説信仰はびくともしなかった。
「欠点ではなく、むしろ長所に着目しよう。」
これがあなたにとっての金科玉条となったのである。


そして遂にサイコパスが登場する。


「どうか良い方へと変わってほしい」
もともとは光輝く「性善説」に満ち満ちた心の持ち主だった、あなた。
持てる全エネルギーを注ぎ、身を粉にして奴のためにさんざん尽くしてみたものの、結局あいつは何も変わらなかった。変わるどころか、その傍若無人ぶりはますますエスカレートしている。
これほど手強い相手に会ったのは生まれて初めてだ。


それでもあなたは諦めることなく、奴に振り向いてもらいたくて、必死の努力を続けた。
少し前に書いた「認知的不協和」という現象も、ちょうどこの時期に生じてくる。
何をやっても、どれだけ尽くしても、あなたの祈りが奴に届くことはない。
全てがむなしく空回りするばかりだった。

────────────────────────────────
【*注:参考記事 「認知的不協和の意味と例」より

「人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。これを認知的不協和と呼びます。そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。」


論理的思考力と論理的な討論 議論 ディベート ディスカッション のHP(http://ronri2.web.fc2.com/index.html)より引用させていただきました。】



【明らかにダメな相手なのに、無理やり良い相手であるかのようにこじ付けて自分を納得させる】。これも立派な【認知的不協和】と言えます。


~いかにもありそうな話(フィクション)~
「彼、私の誕生日には泊まりでどこか旅行に行こうね、ってあれほど言ってくれたのに。LINEも既読スルーで、もう一週間も音信不通。仕事、忙しいのかな...彼、新プロジェクトの件ではすっごく上司から期待されてるって嬉しそうに話してたもの。ここで頑張らないと後が無いから、とも言ってた。
...そうだよね、忘れられたわけじゃないよね。仕事のことで頭がいっぱいなんだと思う。ここはひとつ、彼の大変な立場を理解しなくては。待っていれば必ず連絡が来るだろうから、黙って応援することにしよう。」
ーーー>その後間もなくSNS上に流れてきた写真で、彼女はこの彼氏が別の女性とハワイで楽しい休日を過ごしていたことを知った。
────────────────────────────────


【理想化】、そして【脱価値化】
天国から一気に地獄、地獄からまた天国へ、といった具合に、両極端の状態を何ヶ月にもわたって行き来させられたことで、あなたの精神は徐々に平衡感覚を失っていく。
一体相手の真意はどこにあるのだろう。
先の展開は全く読めない。



「愛してるよ」
あの人の口から確かにこの言葉を聞いた。
諦めるのはまだ早い。望みを捨てずにいよう。もう少し待ってみよう。
そう自分に言い聞かせたことも、ただの一度や二度ではなかったはずだ。
だが、当時、あいつがどのような行動に出ていたか、思い出して欲しい。
果たしてそこに愛情はあっただろうか?
奴の言っていることとやっていることとの間には、深く大きな溝がありはしなかっただろうか?


罵倒。
非難。
浮気。
嘘。


そもそも、二人が本当に愛し合っていれば、こうした負の要素が間に割って入ることなど、まずあり得ない。
愛あるところに「もう死んでしまいたい」という自殺念慮など生じるはずもない。
心傷ついた人を嘲り、貶めるだなんて、とても愛ある人のすることとは言えない。
あなただって心のどこかではちゃんとわかっていたんじゃないかな。
「この人の中には愛なんてない」ってことを。


そのような辛い体験が積み重なって、一人悶々と思い悩む時間が増えていけばいくほど、怒りの感情があなたの心の奥深くに堆積していく。
怒りだけではない。
うつ状態もまた、日を追うごとに悪化の一途を辿っている。


身も心もサイコパスにすっかり食い尽くされてしまったかのような、そんなあなた。
かつてはまばゆいほどの輝きを誇っていた光も、今や風前の灯と化してしまったようだ。
あなたの強力な光をもってしても、あいつを改心させることだけはできなかった。
このままさらに心労が続けば、遅かれ早かれあなたの方が相手の闇にぱっくりと呑み込まれてしまうに違いない。



もはや誰の目にも明らかだ。
あなたから放たれる光の勢いは、日一日と弱まりつつある。
一体この先、どこまで持ちこたえられるのだろうか。





2019年6月5日水曜日

無邪気さの消失【1】

無邪気さの消失

症状:深い悲しみ、哀惜の思い、寂しさ、現実受容、世界を新たな角度から見直し、希望、知恵のひらめき。

悲しみと鬱状態。
この二つを同じものとして扱ってはならない。


絶望と恐れとに乗っ取られ、精神が麻痺したような状態。
それが【鬱状態】だ。


一方、【悲しみ】という言葉からは、そこはかとなく美の香りが漂っては来ないだろうか。
ところが【鬱状態】の方にはそれが無い。
美的要素があるか、無いか。
ここに着目すれば、【悲しみ】と【鬱状態】とを区別するのはそう難しくはない、と僕は思う。


今やあなたの魂は再び息を吹き返し、新たなる一歩を踏み出そうとしている。
この時期のあなたには【鬱状態】よりも【悲しみ】という言葉の方がむしろ似つかわしい。


嘘偽りの無い、本物の【悲しみ】が次々と波のように押し寄せて来る。
そんな自分に気付けたら、「よくがんばったね」とねぎらってあげよう。
ここまで来ればもう大丈夫だ。
長い長いトンネルの出口はすぐそこにまで迫っている。光が見えてくるのも時間の問題だろう。


空っぽで不毛な心にも、しくしくと痛む古傷にも、そろそろさよならしていい頃だ。
少しずつで構わないから、心の準備だけはしておこう。
いつ何時、次のステージに移行せよとの合図が出ても慌てなくて済むように。


あなたの「ソウルメイト」は死んだ。
嘆いてばかりいても仕方がない。今さらどうにもできやしないのだから。
後ろばかり振り返るのもいい加減止めにして、歩かなきゃ...。
覚悟を決めて、あなたはようやくここで自分と向き合う。
そして再び喪の哀しみへと引き戻される。
「二度と戻って来ない」のは、あいつだけではなかった、と気付いたからだ。
そう。【一昔前のあなた】もまた、永遠にこの世から消え去ってしまった。


以前は暇さえあれば奴のことばかり考えていた。
なのに、ある日を境に今度は「失われてしまった自分」の方へと急に関心が向き始めた。
───サイコパスと出会って、別れて、一体どれだけのものを失ったのだろうか。
幾度も幾度も同じ疑問文が頭の中を回り続ける。


ほとんどのサバイバーは口を揃えたかのようにこう答えるだろう。
「たくさん」。

友人関係。
お金。
仕事上のチャンス。
自尊心。
健康。
人間としての尊厳。
人により「損失」の内訳は違うけど、相当の痛手を負った、という事実はサバイバー全員に共通している。


だけど、上に挙げたような「損失」にしたって、実はあなたが思うほどダメージは大きくないんじゃないかな。
なぜかって?
後から取り戻そうと思えば、どうにかして取り戻せる可能性のあるものばかりだからさ。


あなた自身が一番根っこの部分へと立ち返り、本来のあなたらしさを取り戻していくにつれて、全てが「収まるべきところに収まる」はずだ。
だから焦らない方がいいよ。
バラバラになっていたパズルのピースも、本来の場所に戻りさえすればぴたっときれいに収まって、最初からずっとそこにあったかのように見えるだろう?
あなただっていつかはそうなる。自然に事が運ぶようになる。


以前と比べて明らかに良くなる部分もあるだろう。
その最たるものが対人関係だ。
少し前だったら考えられなかったような人々と親しくなるかもしれない。
付き合う人々の質は明らかに変わってくるだろう。


だが、たった一つだけ、あなたがどう頑張ったところで絶対に取り戻せないものがある。


かつてのあなたが持っていた無邪気さ(innocence)だよ。

Image by Free-Photos at Pixabay

断っておくが、僕はこの

「無邪気さ(innocence)」

という単語に

「無知(ignorance)」「世間知らず(naivete)」

のような、相手を蔑むようなニュアンスを込めるつもりは全く無いからね。
どうかそこだけは誤解しないでもらいたい。

【訳注: innocenceは純真無垢、天真爛漫、汚れの無さ 
...といった訳が当てられているように、プラスイメージの強い単語です。
「邪悪さとは一切無縁=>邪気が無い=>無邪気」 
と理解すればいいでしょう。】

ここでの「無邪気さ(innocence)」という単語は

【人間ならば誰だって、ひとつぐらいは長所があるものだ】という性善説に基づく思い込み
という意味で理解してほしい。
相手の言動をできるだけ良い方に解釈してあげようとする善意
と置き換えることもできるだろう。


誰かを信じ、愛し、身も心も全て惜しみなくその人へと捧げ尽くす。
それが「無邪気な人」にありがちなパターンだ。

【過去記事:「信じやすい心」 「「良く言えば柔軟性に富む、悪く言えば流されやすい」。
そうした傾向が自分の中にある、という事実は覚えておこう。

実は、あなたのような人達は、他の性格タイプと比べても催眠による暗示や、他者からの意見といったものからの影響を相当受けやすいんだ。一つ間違えば命取りとなるからね。気を付けて欲しい。」
https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2018/10/blog-post_19.html


様々な修羅場をくぐり抜けたことで、あなたはすっかり変わってしまった。
以前のようなおめでたい人間観からは卒業だ。


人を疑うということを知らず、まるで無邪気が服を着て歩いていたような人。
そんなかつてのあなたは、もう二度と戻って来ない。

2019年5月18日土曜日

トラウマ体験と二つの世界【後編】

【※前編はこちらです。
https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2019/05/1.html 】

それから、しがらみや惰性だけで続いているような人間関係だけど、この際思い切って整理してみてはどうかな。
無理に長引かせたところで、今のあなたには何のプラスにもならないよ。
薄っぺらい世間話ではなく、価値観の近い人達と一緒にディープな人生談義を楽しみたい。
それがあなたの本音なんだろう?


以前は楽しかったはずの集まりなのに、最近は物足りなさを覚えることが増えた。
居心地もあまり良くないことだし、いっそ早めに引き上げるとするか...。
これもまた、この時期にはありがちなことだ。


というのも、あなたにとっての

「サイコパシー」
「共感能力」

はいくらでも話し続けられる、非常に興味深いトピックだよね?
いつでも誰とでも、きっかけさえあれば語り合うだけの準備はできている。
だけど、そうした話に乗ってくれるような人って案外少ないものだ。
できることならば怪しげな話題は極力スルーで行きたい。
そう考える人の方が世間では「普通」とされているんだよ。


【なぜあそこまで無関心でいられるんだろう、あの人たち。全くもって信じられない...。】
あまりにもそっけない彼らのリアクションを前に、とにかく腹が立って立って仕方がなかった。
読者の中にも、そのような経験をした人が多分いるんじゃないかな。


ほらほら、またもやあなたのど忘れ癖が出てしまったようだね。
世の大部分の人々は、外の世界と自分とを隔てる【バリケード】に守ってもらって心穏やかに暮らせればそれでいい、余計なことはしなくていい、と思っているものだ。
キナ臭い話なんてごめんだ、勘弁してくれよ...。
口に出さなくても、内心そう感じている人の方が圧倒的に多いだろうね。


サイコパス?
共感能力?
あ~、またその手の話か。めんどくさそうなことにはあまり首つっこみたくないんだけどな~...。
返ってくるのは、このような反応がほとんどだ。


だからと言って、彼らを「冷たい」と非難するわけにもいかないだろう。
あなた自身も、かつては彼ら同様【バリケード】内側の住人だったのだから。


【現実/外】の世界と、【魂/内】の世界。
二つの対照的な世界の間を振り子のように揺れ動きつつ、あなたはしばし考える。
いつになったら楽になれるのか。出口らしきものはまだ一向に見えてこない。
そもそも自分の中に二つの人格が同時に居座る、なんて奇妙な現象さえ起こらなければ、ここまでややこしいことにはならなかっただろうに...。


いいかい。
どれほど頑張ってみたところで、サイコパス体験以前のあなたを取り戻すなんてもう不可能なんだよ。
明るく前向きで純真無垢だった、あの頃。
今の様子からは想像もできないけれど、かつてのあなたは無邪気そのものといった感じの人だった。
その人はもう二度と戻らない。永遠に失われてしまったも同然なのだから。


だが、もがきや苦しみの背後で、とある大きな変化が起こりつつあることにあなたは気付いているだろうか。
以前と比べてみて、他人との間により風通しの良い、健全な関係が築けてはいないだろうか。
そればかりではない。
他人との間にバウンダリー(境界線)を引くことも、最近ではそれほど難しいとは思わなくなった。
自分を粗末にしてはいけない、ということだってしっかり学んだ。
「欠点だっていっぱいあるよ。でも、良いところだってたくさんあるし!」と、自分自身に正当な評価を与えられるようにもなった。


で、ある時あなたは突然悟る。
「なんだ、自分を防御するための【バリケード】なんて結局は必要なかったじゃないか」と。
まさにこれこそが「目からウロコが落ちた」瞬間だ。


この先も引き続き観察を続けていけば、その気付きが確信へと変わるのもそう遠くはないだろう。
あなたの言う通りさ。
世界と僕らとを隔てる【バリケード】なんて要らなかったんだ。
そんなものの助けを借りなくったって、僕らは充分自力でもって幸せになれるのだから。


そもそも【自尊心(self-respect)】って何だろう。
自分(self)のことを尊重しよう(respect)、という気持ちのことだよ。読んで字のごとし、だけど。
一体どこから来るかって?
もちろん、僕らの内側に広がっている世界からやって来るに決まっている。
宇宙は実によくできているものだ。そう感心せずにはいられない。
だって、聞こうとする耳を持つ者にはちゃんと答を差し出してくれるんだよ。最高に粋なはからいだと思わないかい?
(それって、裏返せば
「どれほど待ったところで、聞く耳を持たぬ奴のところには答なんてやって来ないよ」という意味にもなるよね。)


これからのあなたは、今まで以上に素のままの自分を受け入れられるようになっていく。
自分がもっと好きになる。
そういう流れにうまく乗れれば、もうこっちのもんだ。

【確かにあのトラウマ体験から受けた被害は甚大だった。
でも、全壊という最悪のシナリオからはどうにか逃れられたじゃないか。
だからこうやって今、再び立ち上がって歩き出せるんだ。】

との結論へとそのうちたどり着けるんじゃないかな。


あなたの【バリケード】は跡形もなく崩れ落ちてしまった。
でも、そこで思いがけず視界が開けたことで流れは変わった。
もしバリケードが崩れ落ちていなければ、忘れてかけていたもう一つの世界...つまり、人類全体を内包する大きな世界...へと続く連絡通路を再び見出すことなどできなかっただろう。


驚きいっぱい、元気いっぱいの瑞々しい子ども心についても、ここでようやく生存確認をすることができた。
どうやら心の奥深くにある目立たぬ場所で長いことひっそりと身を隠していたらしい。
行方知らずで一時は心配したけれど、結局は一歩も外へ出ることなく、あなたの中に留まっていたんだね。
よかった、よかった。


Image by pixel2013 from Pixabay

もうここまで来れば大丈夫だろう。
あなたはこの二つの世界...【現実/外の世界】と【魂/内の世界】...を自由自在に行き来できるようになったんだよ。
一回り大きく、そして賢く成長できた今、あなたは二つの世界を代わる代わるに訪問できるようになった。
これからは、普段の何気ない暮らしの中にもいろいろな楽しみを見出していくことだろう。


他人の心の痛みがまるで自分の痛みであるかのように感じられる。
そうしたあなたの特殊な感受性は、使い方を誤りさえしなければ今後の人間関係作りに大いに役立てられるはずなんだ。
一つ一つが味わい深く、非常に意義深い。これからはそういった縁を結んでいければいいよね。


あなたの才能は唯一無二のオリジナル。だからもっと自信を持って欲しいんだ。
たとえ他人が真似しようと試みたところで、そう簡単に真似できるものではない。


もちろん、僕もあなたも生身の人間だ。
時には心がざわついたり、荒れ模様になったりする日だって巡ってくるだろう。
そういう時は世界の片隅へと避難して、落ち着きを取り戻すようにしよう。静寂を友として、静寂の声に耳を傾けるんだ。
一人の時間が増えても、もう怖がる必要などないよ。
だって【一人の時間】イコール【もう一つの世界】で過ごす素敵なひととき、となるのだから。
楽しくならないわけがない。


あと、僕としては、トラウマ体験を乗り越えてきた全てのサバイバーたちにどうしてもこれだけは聞いてもらいたいんだ。

【あなたはダメ人間なんかじゃないよ!】

ダメ人間だなんてとんでもない。
素晴らしい人だよ、あなたは。
何が何だか訳がわからないまま、理不尽そのものといった状況へとただ引きずり込まれただけさ。
それでも必死に歯を食いしばり、諦めることなく最後まで頑張ったよね。
純真無垢さを強引に剥ぎ取られ、貶められ、そして遂には汚されて...という体験は想像を絶するような凄まじいものだったけど、でもどうにかここまで立ち直って来れたじゃないか。


耐え難い屈辱を受けた。これは間違いない。
でも、本来しっかり者のあなたのことだ。転ばされたってただでは起きないと思うよ。


辛い体験と引き換えに、あなたは【知恵 wisdom】というかけがえのない宝物を授かることができた。
数年、数十年、一生涯という時間をかけたというのに【知恵】に触れもかすりもせずに人生のゲームオーバーを迎えてしまった、という人々だって世の中にはごまんといるのにね。


当時を振り返ってみると、よみがえるのは辛い思い出ばかり。
でも、あれが「人並み外れた」特殊な経験だったことだけは間違いない。
宇宙というレストランがあなたのために用意してくれていたのは、どこにでもあるような無難な定食メニューではない、いささかスパイスが効き過ぎた、相当クセの強い味付けが施された特別仕様の一皿だったのかもしれないね。


これだけは覚えておこう。
僕らの住むこの世界には【魂/内の世界】と全く接触を持つことなしに一生を終える、といった類の人々も掃いて捨てるほど存在している。
もちろん例のサイコパスもその一人に含めていい。
まぁ、奴らの場合、【魂/内の世界】から出入り禁止と言われたも同然だしね。無理に押し入ろうとしたって、勢いよく弾き出されるのはまず間違いないよ。


だからこそ、奴らは共感力に富むあなたのような人間を忌み嫌うのさ。


自分にはどうしても手が届かないものがある。
なのに、あなたはそれを既にたくさん所有している。
この不愉快極まりない事実にぶち当たるたびに、サイコパスは地団太踏んで悔しがり、癇癪玉を爆発させずにはいられない。
奴らにはこの現実世界という修羅場でせいぜいもがき苦しんでもらおうじゃないか。
人生最期のお迎えがやって来るその日まで、俗世間の垢にまみれ、汚れ、七転八倒し続けてもらう。それがベストだろうね。


あの手の連中は、「魂の奥深いところで壮大な宇宙とのつながりを持つのが大切...」なんて話を聞いても鼻先でせせら笑うことしかできないだろう。
薄っぺらく生きて、薄っぺらいままで死ぬ。
所詮その程度の奴でしかないんだよ。


【現実世界】の中にいきなり【魂の世界】の一部がすぅっと入り込む。
読者の中に、そのような不思議体験をした人はいないだろうか。
僕自身、実際にこうした感覚は何度も味わったことがある。
だから「そういう世界は確かにあるよ。」ってきっぱりと言い切れるんだけどね。
似たような体験をしたのは決して僕一人だけではないと思うよ。


特にこれといった理由も無いのに、心が悲しみで圧倒される、ということがある。
でも、これ、他の誰かの悲しみが僕らの心の中に入り込んだだけなのに「あ、自分は今悲しいんだな」と僕らの方で勝手に勘違いしているだけなのかもしれない。
友人が大喜びしている時なども同様だ。
別に自分に良いことが起こったわけでもないのに、なぜか友人につられて自分まで気分が高揚してくる。で、いつしか心がすっかり幸せで満たされている。
考えてみればこれも不思議なことだね。


それから、「奇妙な偶然の一致」という言葉でひとくくりにされる諸現象がある。自分と同じ瞬間に、別の誰かも全く同じことについて考えを巡らせていた、という、これまた奇々怪々な現象だ。
でもこういう話は誰でも一度や二度耳にしているのではないだろうか。


そのような不思議な出来事を何度も体験してしまうと、僕らの目に見えようが見えまいが、【魂の世界】はこの世のどこかに確実に存在しているのかもしれないな、との結論にどうしても行き着かざるを得ない。


巨大な【魂の世界】側の視点から物事を見るならば、みんなを一つの大きな【つながり】でもって結びつけることだってできるよね。
そう、実はみんながつながっているんだよ。
今僕の本を手にしてくれているあなたも、そして著者である僕も、誰もがつながっているんだ。


【二つの世界】...つまり、【現実/外の世界】と、【魂/内の世界】が混ざり合って一つになったとしたら、果たしてどんなことになるだろう。
少しだけ想像してみようか。


融合後の新世界では、感情も、思いやりの心も、何一つとして修正を加える必要が無いから、ごく自然な、素のままの姿で存在することができる。
そこでは僕らの魂もまた、さながら鳥のように翼を広げ、大空高く舞い上がり、喜びの歌を高らかに歌うことができる。
とはいえ、悩みや苦しみといった茨の蔓(つる)でがんじがらめにされ、動けなくなった人も所々では見かけるかもしれない。
そんな時は、彼らの痛みにそっと寄り添ってあげよう。
虐待から回復しつつある人の歩みはまだまだぎこちない。
完全回復に至るまでには時間、そして周囲の人々からの応援がどうしても必要となるからね。力になってあげようよ。


もちろん、新世界にあるのは苦しみや痛みばかりとは限らない。
誰かの心に喜びの感情が芽生える。
すると周囲がそれをいち早くキャッチして、より多くの人々と一緒に分かち合う...。
そんな場面もここでは日常のごくありふれた一コマだ。これといった気負いもなく、自然にそのような流れとなるのも、新世界ではごく普通のことだ。
一人一人のハートからは、明るく、色とりどりの光がさんさんと外に向かって放たれている。
光輝くハートを持つ人の数が増えれば増えるほど、世界はますます美しい場所へと変化していく...。


どう?
「うん、素敵。本当にこんな世界があったらいいな。」
あなたもそう思ってくれるだろう?


もっとも、サイコパスの立場からすると、これほど魅力を欠いた世界も珍しいらしい。
共感能力など少しも持たぬ奴らにとって、共感能力が重んじられる新世界はそれこそ【生き地獄】でしかない。住み心地は最悪だろう。


だからこそ、僕らは手に手を携え、互いの力を合わせて、二つの世界を融合させていかなければいけない。
【現実/外の世界】と【魂/内の世界】。
対照的な二つの世界を融合させて一つの大きな世界を作るんだ。
そうすれば、暗黒人間の活動区域をじわじわと狭めていくことができる。
また、共感力に富む全ての人々に対しては「あなたは素晴らしい人だ、ダメ人間なんかじゃない!」とのメッセージを今後もずっと発信し続けていく必要があるだろう。



とにかく、虐待された事実も、過去の出来事も、あなたが恥じる必要なんて少しもないよ。
悪いのは虐待者。
責めを負うべきはあいつただ一人だけだ。


僕もあなたも、無事に修羅場から離れることができた。
「助かった」というこの事実にも、何かしらの意味があるのではないだろうか。
どうもそんな気がしてならない。


そう、全てはまだ始まったばかり。
本当のお楽しみはこれからだ。








2019年5月3日金曜日

トラウマ体験と二つの世界【前編】

回復へと向かう道の途中では、さまざまな現象が起こる。
中でもとりわけ気味が悪いのは

【自分の中に人が二人いるみたい】

という感覚ではないだろうか。


「自分の中に全くタイプの違う人格が二つある」といった異様な感覚、と言い換えてもよいかもしれない。
人格No.1は明るく、他人を簡単に信頼してしまいがちな、虐待前のあなた。
人格No.2は、虐待で身も心もすっかり疲弊し、被害妄想の囚われ人と化してしまった現在のあなた、だ。


Image by Pixabay

この背後にもきっと何らかのメカニズムが働いているに違いない。


よりわかりやすくするために、ここからは

【あなたの中に二人の違った人がいる】

ではなく、

あなたの中に【全く異なる二つの世界が同居している】

と、少しだけ表現を変えて話を進めていこう。


まず、あなたが日頃見聞きする世界というものがあるよね。
いわゆる【現実世界】のことだ


だが、この【現実世界】とは別に、全く性質の異なる世界、すなわち

【自分の心の内側でしか感じ取ることができない世界】

も同時に存在している。
これには大多数の人が同意してくれると思う。


人間は【心の内側に広がる世界】へと足を踏み入れることによってはじめて、全宇宙、生きとし生ける全ての存在との特別なつながりを体験できるものだ。
遠い昔、幼い頃の僕らは特に誰かから教えられたわけでもないのに、両方の世界を一人で上手に行き来していたのではないだろうか。



だが、「大人」への階段を上り始めると、そうした世界との付き合い方も変わらざるを得ない。
社会という小さな枠組みに自分を合わせる必要に迫られて、入りびたるのはもっぱら【現実世界】の方だけ、となっていく。
【現実世界】にどっぷりはまればはまるほど、もう一つの静かな世界、つまり【心の内側に広がる世界】は僕らにとって縁遠い存在となる。


そんな自分の偏り具合を知ってか知らずか、僕らは少しずつ自分の周囲に頑丈なバリケード(防塞)を築き始める。
迫り来る外敵から自分を守らねばならないからね。
社会の中での定位置が大体決まれば、その場所ぐらいは極力安心して過ごせるようにしておきたい。
そう考えるのは人間の性(さが)というものだ。
だから、ガードもますます固くなる。緩まる気配など全く見えない。


不安。虚栄心。挫折。
多少の傷など気にするな。かっこ悪いことも、恥ずかしいことも、バリケードを高くしておきさえすれば、何とかなるさ。
要は外から見えなきゃいいんだろう?...


こうした生き方が身に付くと、他人や物事をうわべだけで判断することにいささかの抵抗も覚えないような、薄っぺらな人間になってしまう。
【心の目で見る】ことなど、すっかり意識の外へ吹き飛んでしまったかのようだ。
気分は上々。今が良ければそれでいいのだ...。


それにしても人間というのはつくづく哀れな生き物だ、と思う。
この世に生まれ落ちたその瞬間から、保身用のバリケードをせっせと作らないではいられないのだから。
バリケードは毎日僕らに向かって「強くなれ」と叱咤激励し続ける。
ただ、それはあくまでも【現実世界】の好みにかなう、形だけ・表面だけの「強さ」を身につけよ、というだけのこと。
内面からにじみ出てくる正真正銘の強靭さとは似て非なるものである。


今まで生きてきて、何もかもがうまく運んだ、悪いことなど一つも無かった、などと言える人は、世界広しといえどもそう多くはいないだろう。
ある程度の人生経験があれば、誰だってそのぐらいはわかるはずだ。
災難、喪失、傷心...。
生きる、というのは数多くの困難をくぐり抜けていくことだ。
困難に見舞われるたび、僕らが頼りにしている鉄壁の【バリケード】はあちらが削られ、こちらが欠け落ち、またあちらが砕かれて...といった具合に、ダメージを被る。
元の立派な姿は徐々に失われ、みすぼらしさの方が目立つようになっていく。


とはいえ、人生もはやこれまでだ、どうせ残りは消化試合だし、なんて早々と諦めてはいけない。
だって僕らの人生・第二幕はまさにここから先が一番の見せ所なのだから。
苦労を重ねて多くのことを学んだおかげで、以前なら見向きもしなかったもう一つの世界...【心の内側に広がる世界】...との失われたつながりを、ようやく僕らは取り戻し始める。
もう焦ることはない。急がなくてもいい。一歩一歩進めばいい。
前よりも随分と賢くなった。世間の荒波にさんざんもまれたけれど、それは決して無駄ではなかった。
以前とは違い、周囲の人々にも慈愛のこもった眼差しを向けられるようになった。


「ああ、あれは完全に若気の至りだった...」
「随分とバカなことやったもんだ。我ながら呆れるよ。」
思わず赤面することも、首をひねりたくなることも山ほどあるが、今となっては結果オーライ。一つ一つが味わい深い思い出だ...。


...と、まぁ、これが大抵の人にとっての典型的なパターンではないだろうか。
(少なくとも僕の想像ではそういうことになっている。)


ところがそうした「人生再起動」の構図の中にトラウマ(心的外傷)体験が紛れ込んで来るとなると、話はややこしくなってくる。


僕らを襲った数々の「苦難」は、「サンドペーパーであちらこちらを徐々に削り取られるような...」といった詩的表現がぴったり来るような生易しいものではなかった。
常人の想像が及ばないくらいの、激烈極まりない体験だった。
なにしろ、自分を守ってくれるはずの【バリケード】が一瞬にしてガラガラと音を立てて崩れ、全てが無に帰してしまったのだからね。


頑丈な【バリケード】さえあれば、自分をしっかり守れるはずだ。
そう考える人は決して少なくはない。
だが、あなたの場合は、そもそも築き上げたバリケード自体が大して頑丈ではなかった。
元々が脆弱だったからこそ、奴からきつい一撃を食らっただけでいとも簡単に崩落し、以来再建のめども立たず、というむごい結果になったのではないだろうか。


相手から無慈悲に切り捨てられて、バリケードが完全に崩れ去り、無防備な状態でいる。
それが今のあなただ。
だからこの時期は自分の発言や行動にも細心の注意を払わなければならない。
些細なことで他人に当たり散らしたり、はたまた他人を傷付けたり、ということをうっかりとやってしまいがちなんだよね。
慎重になるに越した事はないよ。


あなたは今、他人のやることなすこと全てに対して神経過敏になっているんじゃないかな。
これ、傍から見ていて実に危なっかしいんだよね。
そもそも、自分が一体何をやっているのか、あなた自身もよく把握できていないんだろう?
(もっとも、「何をしているのかよくわからない」という状態はかなり前から続いていたよね。別に昨日や今日始まったことではない。)


他人にべったり寄りかかる。
一人になるのが耐えられない。
辛かった頃の話に耳を傾けてくれそうな人がいれば、誰彼構わず捕まえて、思いっきり愚痴を吐かせてもらう...。
近頃、そういった行動に出てはいないだろうか。


一方で、以前大好きだった物を見ても聞いても、感情がピクリとも動かない、麻痺したように無反応、ということもある。
これもまた、捨てられ体験を経た人特有の症状だ。
「ああ、そういえばそんな時期もあったっけ...」と、あたかも故人の思い出話でもするかのように淡々と自分の過去を回想する。
昔は良かった。毎日が明るく、楽しく、そして色鮮やかだった。だけど今は違う。何もかもが変わってしまった...。


一体どうすればいいのだろう。
何もかもが「行き詰まって」しまったかのようだ。


でも、「行き詰まった」と言っても、それは一体どちらの世界での話なのだろう。
【現実世界】で、なのか?
それとも【心の内側に広がる世界】で、なのか?


少しずつ傷が癒えるにつれて、あなたの内面にもじわりじわりと変化の波が押し寄せてくる。
ここであなたはようやく、子供の頃に離れたきり一度も戻っていなかった領域、すなわち【心の内側に広がる世界】へと再び足を踏み入れることになる。
驚いたことに、そこであなたを迎えてくれたのは平和、そして安らぎに満ちたすてきな世界であった。


想像力。

霊性。

愛。
もちろんこれは正真正銘、本物の愛のことだよ。


自分アゲアゲ、自分さえよければ他人はどうなろうが関係無い、といったサイコパスならではの、フェイクで嘘まみれな「愛」なんてもう二度とごめんだ。
僕らが本当に欲しいのは、嘘偽りとは一切無縁な、純度100%の本物の愛。
それ以外の「愛もどき」なんて、きっぱりと受け取り拒否でOKだ。


それにしても、あの頃の僕らはあんな奴らに一体何を期待していたのだろうか。
所詮、こちらがどんなに誠意を尽くしたところで、悪臭プンプンの汚物を平気で投げ返して来るようなろくでなしでしかなかったのにね。


今、あなたの心にはぽっかりと巨大な空洞ができているはずだ。
これからは自らの力でその空洞を埋めていこうじゃないか。
持ち前の豊かな共感力と慈悲心とをフル稼働させて、壊れてしまった部分を補修していこうよ。
少しずつで構わないから。


大丈夫。きっとできるよ、あなたなら。
だって、共感力や慈悲心といった素晴らしい性質は、最初からあなたの中にちゃんと備わっていたのだから。
あいつと出会うずっとずっと前から、変わることなく...ね。


2019年4月19日金曜日

認知的不協和リターンズ

「時が経てば傷も癒えるさ」
「日にち薬は効き目一番」(※注)


(※注)「日日薬(ひにちぐすり)」の意味 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/264268/meaning/m0u/ 
Image by Angelo Rosa from Pixabay


これ、おおむね正しい、と思う。
さすがは昔から使われてきた言い回しだけのことはあるよね。


だが、壊れた心が回復するまでの道のりが平たんで、見通しの良い一本道となることなどめったにないものだ。
このまま何事も無くゴールまでうまく逃げ切れるだろう、なんて甘い読みをしていると、こっぴどく裏切られることもあるだろう。


中でもよく見られるのは「度忘れ」という現象だ。
例の相手と付き合っていた頃どれほどひどい思いをしたか。
どんなに辛かったか。
そうした記憶だけが不思議にポッコリ抜け落ち、また、思い出そうとしてもなかなか思い出せない...。
実際、そうした経験をする人は少なくないのだ。


これは「選択的記憶喪失症」(selective amnesia)と呼ばれ、人間に生まれながらにして備わっている心のメカニズムのひとつとされている。
辛い記憶を「選択的に度忘れ」させることによってその人を守り、治癒・回復させる方向へと誘導していく。
人間の心には、こうした大切なタスクを同時に処理できるだけの優れた機能がはじめからインストールされているのだ。


 


そのような時、あなたは特に気を引き締めていかなければならない。
でないと、「許し」についていろいろと思いを巡らせた挙句、別れたあいつに自分から連絡を取って「ランチでもどう?」なんてわざわざ誘う、なんて暴挙に出かねないからね。


...もう一度直接会って話せば、自分の中のモヤモヤもきれいさっぱりと解消できるんじゃないか。きちんとケジメを付けられるんじゃないか。
そんな間違った期待を抱き始めるようになったら、危ない、危ない。


頼むよ。
それだけはやらないで欲しいんだ。
一度相手にこちらからすり寄って行くような真似でもしようものなら最後、またもや悪夢の無限ループ、となるのがオチだから。
相手の術策にまんまとはまり、ズタボロに虐げられ、さらなる深手を負うことだけは間違いない。


ようやく心の安定を取り戻した今のあなた。
人はえてしてこんな時、心の安らぎと楽観主義という色付きフィルターをかぶせたレンズでもって、過去の人間関係を見てしまいがちだ。
映ったイメージがどれほど良く見えようと、所詮それはあなたの内面の状態を【投影】したもの(projection)に過ぎない。


今の自分の状態が良好だからといって、過去の人間関係もつられて状態が良くなる、なんてことは残念ながらあり得ない。
だから自分の記憶をごまかしちゃだめだ。
真実を見失ってはいけない。


誤解なきように言っておくけど、僕にはそうした心の色付きフィルターが100%悪だ、と決めつけるつもりなど毛頭無いからね。
これはこれで大切な役割を果たしているんだ。
平和、安らぎ、楽観主義...といった色の付いたフィルターが僕らの心に備わっていたおかげで、頭の中をひっきりなしにピュンピュン飛び交う矢のような激しい思考活動にも圧倒されることなく、しんどい時期を乗り越えてここまでどうにか生き延びて来れたのだから。


暗かった気分が次第に晴れやかになっていく。
もちろん、これは喜ばしいことではあるけれど、その良い気分を【即、行動に移したくなった】時には、二、三回深呼吸してよくよく考えた方がいい。
自ら地獄へと再び舞い戻るような無謀な真似だけは絶対に避けなくっちゃならない。


ここまでの回復のプロセスを振り返ってみてごらん。
全てはあなた一人が自身の努力でもって成し遂げてきた偉業だ、誰の力も借りずに自分だけでやってきた、ってことがよくわかると思うよ。
あなたの気分が良くなりつつある理由、それはあなたがサイコパスときっぱりと絶縁し、以来、あいつとの接触を徹底的に避けているから、だろう?



そこを勘違いして、
「そろそろきちんと二人の関係にきっちりとケジメを付けよう、大丈夫、今ならうまくやれるはず。」なんて早まった行動に出てはいけない。
取返しの付かないことになるよ。



またあいつと関わり合いになるっていうのかい?
悪いことは言わない。やめときなよ。
あの不毛な、苦しみばかりの日々が再度繰り返されるだけだから。
この本の前半で長々と書いたような嫌な出来事ばかりの毎日がリピート再生されるのなんて、もううんざり、だろう?



「加虐者(abuser)を許すべきか、許さざるべきか」。
この問題については、本書の最終章でより詳しく僕なりの見解を述べるつもりでいる。


あなたには引き続き


ノーコンタクト/絶縁


を徹底的に貫き通してもらいたい。
自分のことを優しく扱ってあげようよ。
これ以上辛い目に遭う必要なんてないじゃないか。


ノーコンタクト。
今はそれさえ守れればいいんだ。
後のことは後で考えるとしよう。

2019年3月20日水曜日

恥 ~穴があったら入りたい~

喪失の悲しみを乗り越えていけ、と口で言うのはたやすい。
だが、実際はきれいごとではとても済まされぬ、しんどい作業の連続だということが、体験した人ならばすぐにわかる。
それでもようやく行く手に一筋の光が見えてきた。
まだまだ気を抜くわけにはいかないが。


この段階では、被害者が【恥の感覚】に責め苛まれることが多くなる。
かつての自分自身、そして粉々に砕け散った関係を振り返るたびに、恥ずかしさで胸がつぶれそうになるのを感じる。


なぜ自分はあいつの前であそこまで卑屈になれたんだろう。

「許して、お願い」
「私の言い分も聞いて」

あの情けない自分の姿を思い返すたび、顔から火が出るような恥ずかしさを覚える。
あれほどにまで自分で自分の魂を踏みにじり、ズタズタに傷めつけるような行為ができたなんて、とても信じられない。


しかもあなたは、耳を傾けてくれそうな人がいれば誰彼構わず捕まえて、切々と身の潔白を訴え続けたのだった。
「ねぇ聞いて聞いて、私は悪くないんだってば!」...と。


幾度も頭の中でリハーサルしておいた「解説」、つまり「状況が変わった、もう自分とあの人とは関係無い」というあなたの側からの公式見解だけは、何としてでもみんなに伝えておきたかった。
だから、会う人会う人に破局へと至った経緯をしゃべらずにはいられなかったのだ。


当然、締めの言葉は決まってこうなる。
「最初は『完璧なパートナー』って思えたんだけどね。でも、そうじゃなかった。あの人サイコパスなんだよ。私、虐待されたの。」


これ、大勢の人がついはまりがちな落とし穴なんだよね。
サバイバーの話を聞いても、同じように引っ掛かった人が少なくなかったよ。
どこがまずいかわかるかい?


あなたはいまだに

「なんとしてでも他の人からの承認を得なければ!」

という強迫観念に囚われているんだよ。
あいつから離れてもうかなりの月日が経っているにも関わらず、だ。


右と言ったかと思えば左。白と言ったかと思えば今度は黒。
常にフラフラと揺れ動き、一箇所に留まることなど決してあり得ない。
サイコパスとはそういう人種だ。
かつてのあなたにもあったよね。
奴の顔色を絶えずうかがい、やることなすことにいちいち振り回されていた時期が。


ならばある程度は仕方ないのかもしれない。
当時はあいつが何か言うたびに、あなた自身の自尊感情も上へ下へと激しく揺れ動いていたんだろう?
人の顔色をうかがい、他の誰かに同意してもらうまで落ち着かない、といった悪い癖がいまだに抜けきれないのは、その影響かもしれないね。


承認欲求というのはなかなか厄介な代物(しろもの)だ。
へたに放置して肥大化するに任せてしまうと、後々「穴があったら入りた」くなるような大恥をかくことになるかもしれない。


特に、普段から人とあまりつるむことが無く、前向きに生きている自分のことが好き、といったタイプの人達は注意が必要だ。
後になって恥ずかしい思いをするのが嫌ならば、口は災いの元、しゃべり過ぎは厳禁、と肝に銘じておこう。


他の誰かに同意してもらわないと落ち着かない。
思い切って次の一歩を踏み出すことができない...。
もし、あなたがなかなか前に進めないでいるのがネガティブな思い癖のせいだとしたら、これは問題だよね。
できるだけ早くに捨て去るのが賢明じゃないかな。


サイコパスとの遭遇は、あなたの人生最大の汚点となってしまった。
あいつと出会うまでは人生もそこそこ順調だったのに、突然巨大な黒雲に覆われたかのように全てが暗転。あれから何もかもが変わったよね。


もし、あなたの人生を袋いっぱいのビー玉にたとえるとしたら、今はビー玉が袋からこぼれ出て床一面に散らばってしまった状態、と言えるだろう。
思考も感情もあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
まるで収拾がつかない。
一体いつになったら先の見通しが立つようになるのだろうか。


だけど、そんな状況も永遠には続かない。
いつかは必ず終わりがやって来る。


これからのあなたは、こぼれ落ちたビー玉を一つ一つ、元の袋に収めていくという作業に専念することとなる。
四方八方へと散らばった人生だけれど、ゆっくりと、何ヶ月という長い時間をかけながら、一つにまとめていけばいいんだ。
自分の身に起こった一連の出来事についても、当時のあなたが周囲の目にどう映っていたかも、少しずつクリアーに見えるようになっていくはずだ。

Image by Pexels

済んだことは済んだこと。
くよくよ悩んでみたって、今さらどうにもならないよ。
「もういいんだよ」と自分を許し、前へと進もう。
サバイバーの誰もがそうやってこの苦境を乗り越えてきたんだ。


そもそも、あなたに関する事柄にしつこくこだわり続けている人なんて、あなた以外に誰一人としていないんじゃないかな。
いきなり何を乱暴な、と言われそうだけど、ちょっと考えてみて欲しい。
【他の人は大して私のことなんて気にしちゃいない】
おごり高ぶり、いささか自意識過剰気味となった心にとって、これほどよく効く鎮静剤が他にあるだろうか。
そう。世間の人々は、あなたの身の上話などこれっぽっちも気にかけてはいないよ。


人は誰でも心の内側に自分だけの戦場を隠し持っている。
そこで繰り広げられているバトル(闘争)の種類や性質は人によって多少は異なるかもしれない。
でも、一度始めたバトルは最後の最後まで各自が責任持って闘い抜かなきゃいけない。
みんな自分のことだけで手一杯、となるのも当然さ。
好き好んで他人の人生に首突っ込む暇人なんて、そうそういやしないよ。



嘘だと思ったら確かめてごらん。
あなたがうっかり口を滑らした過去の恥ずかしい話、一体どれだけの人が一週間経っても覚えているだろうか?
ほとんどの人はきれいさっぱりと忘れているんじゃないかな。
...あなた自身がわざわざ話を蒸し返す、といった野暮なことをしない限りは。



目指すべきは「今、目の前にあるこの現在」に全力でもって向き合うこと、だ。


これから先、うれしいこと、素敵なことが次々とあなたのところへやって来る。
自分自身についても、そしてこの世界についても、新しい発見が次から次へと現れる。
今はまだ想像することすら難しいかもしれないけどね。



最後になるが、僕がビー玉探しのコツを伝授しよう。


それは、「思いも寄らぬところを探ってみること」。
「えっ、まさか!」と言いたくなるような場所をあえて見てみるんだ。


案外そういうところでひょっこりと見つかるものだよ、人生のビー玉って。


2019年3月13日水曜日

暗闇、そして新たな痛み

サイコパスという嵐が過ぎ去った。
しばらくの間は、人生もぱたりと動きを止めてしまったかのように感じられるだろう。


残されたエネルギーを必死に振り絞り、徹底的にリサーチ。
「やっぱりあの人、サイコパスで間違いない」との確信に至った。
それと同時に、壊れた自分の修復作業にも取り組まねばならなかった。
一体いつになったら周囲の世界が再び息を吹き返すのだろう。
少なくとも、本来のあなたらしさが戻ってくるまでは、そのような日が訪れることなど無さそうだ。


とはいえ、人生が一瞬でもその歩みを止めるなどということは、現実世界にいる限りまずあり得ない。
生きていれば誰だって辛い目に遭うし、嫌なことも起こる。
友達や家族の死は容赦なく訪れるし、人間関係も壊れる時は壊れる。
可愛がっているペットの死や、病の苦しみだって決して他人事ではない。


人生に苦しみや痛みはつきものだ。
誰が何と言おうと、この普遍的真理からは逃れられない。


ただ、サイコパスとの体験を経た後では、苦しみや痛みに対しての反応が以前とは違ったものとなるかもしれない。
辛いことや不快なことが起こると、心がすぐさまブーメランのようにあの頃の記憶へと舞い戻る...。
このパターン、一度はまるとなかなか抜け出せないんだよね。


ぼやきたくなる気持ち、わからなくもないよ。

「あんなサイコパスに出会ってさえいなければ、もっと上手に乗り切れているはずなのに。」

うーん。
それはどうかな。
この、過去へ過去へと舞い戻るブーメランパターン、長引かせることでかえって自分をみじめな立場へと追いやってはいないだろうか。
気に食わない出来事は何もかも一緒くたにし、「あのサイコパスと関わったせいで!」と強引に関連付けてはいないだろうか。


いい?
かつてのサイコパス体験と、今あなたが置かれている状況とは全く別個のものとして考えなければいけないよ。
両者の間には何一つ接点など無いんだ。
人間関係がこじれてくるとこうした記憶のブーメラン現象が特に起こりやすくなるから、気を付けなくちゃね。


あなたの前に気になる人が現れ、いい感じになってきた、としよう。
希望や喜びいっぱいの日々に、あとほんの少しで手が届きそう。
これでようやくサイコパスとの悪夢とおさらばできるかも...。


二人の仲は順調に進展しているかのように見えていた。
だが、あなたの期待もむなしく、相手との間には少しずつすきま風が吹き始める。

「ふん、あんなサイコパスと関わり合いになっていなかったら、きっと今頃は...」

思わず口をついて出るのは、あいつへの恨み節ばかり。


結局、その相手との関係がそれ以上に進むことはなかった。
別れが決定的となり、あなたはまたもや無力感に襲われ、ひどく落ち込む。
サイコパスのせいであなたらしさがじわじわとむしばまれていった、あの悪夢のような時期が再びやって来たようだ。

過去記事:「むしばまれていく、自分らしさ(1)」https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2015/03/1.html 】

サイコパスの破壊力を侮ってはいけない。
離れてからもう随分経つというのに、あなたの心の奥深いとこでしぶとく生き続けていたんだね。


僕としては、こうした状況下であなたを襲う無力感と、例のサイコパスとの体験とは切り離して扱うべきだ、と考えている。


あの体験をきっかけに、あなたの魂は生まれ変わった。
これは疑いようもない事実だ。
生まれ変わってからのあなたは、外部からの悲しみに対しての敏感さが以前と比べて格段にアップした。
だが、それは裏を返せば、ほんのわずかな悲しみに触れただけで激しく動揺し、簡単には落ち着きを取り戻せない、ということをも意味する。


「一体どうしたんだろう、私。情けない...。」
そう思う人もいるだろうね。
弱気で、めそめそばかりしている自分の姿に「なんて不甲斐ないんだろう」とイラつくこともあるかもしれない。
本当ならばもっと強く、もっとたくましい自分へと変わっていかなくっちゃいけない時期なのに...ね。


だけど、こうしたネガティブな感情エネルギーは決して無視してはならないし、押し殺してもいけない。
そのままじっくり観察していけば、実はその中にもっと大きな、もっと大切な目的が隠されていることがわかるんだ。

Image by Alexas_Fotos

過去にさかのぼってわざわざ嫌な記憶を掘り返し、脳内ドラマをリピート再生し、嫌な気分にどっぷり浸る。
これ、そろそろ止めてもいいんじゃないかな。
自分を解き放ってやりなよ。自由の身にしてやりなよ。
泣きたいのなら、大声出して好きなだけ泣けばいいさ。
愛のエネルギーは心の一番奥深い場所で封印せずに、外の世界へとどんどん出してやろうじゃないか。
癒えていない傷があるのなら、その愛のエネルギーを使ってきちんと治そう。
失われた物たちや人々に執着するのも止めようよ。
ほんの少しだけ振り返り、「さよなら」とそっと心の中でつぶやいたら、後は前だけ見て歩いて行こう。


身体はへとへと。でも、心は穏やか。
そんな今の自分に気付けているかな。
自分というちっぽけな枠組みを超え、もっと深いところに存在している「何か」と自分とが繋がっているような、そんな感じ。
少しずつではあるが、あなたの中にもそうした実感が芽生えつつあるのではないだろうか。


こうしたプロセスを経る前と経た後とでは、「喪の悲しみ」に向き合う姿勢がガラリと変わってくるのは当然だろう。
変化すること・イコール・悪化すること、と決めてかかるのはよそうね。
世の中には変化して良くなることもたくさんあるのだから。


もちろん、最初のうちは多少の居心地の悪さを覚悟しなければならない。
今までに体験したことのないようなパワフルな感情が押し寄せて来るのだからね。
こんな波、どうやって乗りこなせばいいんだろう。
コツをつかむまではなかなかしんどいと思うよ。


経験したこともない感情をさあ、扱え、といきなり言われたところで、すぐには上手くできないだろう。
難しそう、無理だ、と思った瞬間、つい昔馴染みの例の感情...「この先最悪の事態が襲ってくるんじゃないか」という恐怖心...の方へと心が自然に傾いていく。
そうなると「あのサイコパスさえいなけりゃ...」というネガティブ思考に絡め取られてしまうんだよね。


辛い感情・厄介な感情は、実地経験を積むにつれて少しずつ上手に扱えるようになるよ。
苦手意識も徐々に薄らいでいくだろう。
どんな感情であれ、湧き起こって来たものはとにかく一旦自分の中で受け止めてみよう。
しっかりと受け止められたら、より健全な目的に役立てられるよう、進行方向を微調整してやる。
準備が出来たら、自分の外へパーッと放出してやればいいさ。


大丈夫。
できるよ、あなたなら。



もう一つ、落ち込んだ時にぜひ思い出してもらいたいことがある。


こうした一連のサイコパス体験を生き抜いた今、「前よりも苦手になった」「以前はできたけど、あれ以来できなくなった」といったネガティブな面に目を向けがちなのは仕方ないと思う。

でも、逆に

「前と比べて簡単にできるようになった」
「以前よりもかえって得意になった」
「改善された」

など、あなたにとってプラスとなったことも探せば必ずあるはずなんだよね。
さぁ、いくつ数えられるかな。


サバイバーの多くがこんなところを挙げている。

・友人との仲が一層深まった 
・風通しの良い健全な人間関係だけが残った 
・自分の良いところを認められるようになった 
・他人と自分との間に境界線(バウンダリー)を引けるようになった 
・自分と人類全体とのゆるやかなつながりを実感できるようになった


ネガティブ感情やネガティブ思考って、坂道を転がり落ちていく雪玉みたいなものだよね。
はじめはごく小さかったはずなのに、ころころと斜面を転がっていくうちにその大きさを増し、気が付いたらもう誰にも止められないほどに巨大化している。


ネガティブ要素を無駄に肥大化させないためにも、時々は立ち止まる機会を設けよう。
自分がどれだけ成長したかをはっきりと認められれば、考え方も変わると思うよ。
焼け野原の灰の中から力強く立ち上がり、無事にここまで歩いて来れたんだよね?
本当によく頑張ってきたあなた自身を、精一杯ほめて、そしてねぎらってあげて欲しいんだ。


あなたは暗黒状態からの脱出に見事成功した。
もう怖がらなくてもいいんだよ。


2019年2月20日水曜日

仕切り直し【Do-Over】

PTSDと関わりが深い感情で、最も多く見られるものといえば、やはり【無力感】になるだろう。


虐待を受けている間も、そして虐待から逃れた後も、あなたは自分の無力さを嫌というほど思い知らされたのではないだろうか。
「どうあがいてみても、私にはこの状況は変えられない」といった具合に。


あいつと出会ってからのあなたは
心奪われて
裏切られて
利用されて
挙句の果てに捨てられたよね。


避けようにも避ける方法など存在しなかった。
あなたができることなど何一つなかった。


低空飛行を続けていた自尊心が底を打った、まさにその時。
どこからともなくサイコパスが現れ、残された自尊心の最後の一片まで全てかっさらって去って行った...。
状況説明をするならば、こんな感じになるだろうか。


あいつのせいで、ヒステリックに泣き叫ぶ姿まで世間にさらして大恥かいたよね。
あちらにとっては願ったりかなったりの展開となった。


もちろん、奴のあなたに対する態度が最悪だったことは今更言うまでもなかろう。
貧乏くじを引いて泣きを見るのは常にあなたの方だった。
なのに、「勝ち星」はいつもあちらの頭上に輝いているかのように見える。
なぜなんだ。
そんなの不公平じゃないか。
(この件については本書の後半でさらに詳しく触れるつもりだ。)


で、途中であなたははっと気が付く。
「私、勝ち負けゲームの対戦相手としか見られていなかったんだ」
と。
その瞬間、圧倒的な無力感が雪崩のようにあなたを襲う。
あれはまさに、息も止まるかと思うほどの衝撃だった。


「お願いだから」
「どうかそれだけはやめて」
ひたすら低姿勢で懇願ばかりしていたあの頃の自分。
情けない、みじめな自分の姿がしょっちゅう脳裏に浮かんで来ては、今なおあなたを苦しめる。
もうわかるだろう。
あいつ、あなたが悶え苦しむ姿を見ては、ひそかな快楽を味わっていたんだよ。


「頭おかしいよ!」
「嫉妬心強すぎじゃない?」
当時はそうした奴からの非難にいちいちへこみ、傷ついてばかりいた。
だが、今ならはっきりわかる。
いや、自分は決して間違っていなかった、と。
...二股三股かけての不貞行為を続けていた卑怯者。
それは他ならぬあいつ自身のことだった。
あなたの側には落ち度など無かった。


そこであなたは考える。

「もし、あいつがもう一度だけ連絡取って来たら、今度は
私があいつを無視しまくってやるんだ。私がやられたのと全く同じやり方でもって


ここではそうした作業を【仕切り直し(a do-over)】と呼ぶことにしよう。


圧倒的な無力感に押し潰され、倒れてしまった魂。
こういう方法にでも頼らない限り、自分を立て直し、回復へと向かって歩き出すのはかなり難しいのかもしれないね。
あくまでも僕の仮説だけれども。


誰もが持っている、想像力。
実は、この想像力には僕らが考える以上に大きな力が秘められているのだそうだ。
「これ以上心が傷つけられるのはイヤだ!」といった場面に遭遇した時、想像力はそれ以上黙っているわけにはいかない。
目を覚まし、活発に動き始める。
それは大切なあなたをさらなるダメージから守ろうとする自然のはたらきなんだよ。


だから、嫌な記憶が戻ってきて、いつまでも振り払うことができずに困っているようならば、想像力に一仕事させてみてはどうだろう。
好きなだけいろいろ想像してみればいいよ。
そして、自分の中だけであいつとの関係を「仕切り直し」するのだ。
まぁ、脳の厄介な部分がしゃしゃり出てきては「それ、所詮【作り話】でしょ?ホントのことじゃないよね?」と野暮なツッコミを入れてくるだろうけどね。
そこは各自、上手にスルーしてもらいたいな。


要するに、「あれは本当にあったことだった」と自分の中で一度決めたら、ひたすらそう思い込め、というだけのこと。
そのうち、話の一つ一つがまるで【本当にあったこと】であるかのように感じられてくるはずだ。


「どうか許して...」
涙で顔をぐしょぐしょにしながらあいつの足元にひざまずいた、だって?
そんなこと、多分実際には起こっていないと思うよ。
あいつの悪口があまりにもゲス過ぎて、逆に笑い飛ばした、ってことならあっただろうけど。


平身低頭してあいつにペコペコ謝りまくった。
果たして本当にそうだったっけ?
あいつに面と向かって「さっさと謝罪しろ!」って逆にあなたの方から要求したんじゃなかったかな。


あいつに無視・だんまりを決められたのが辛くて、泣いてばかりいた。
...いや、そういうことは起こっていないよ。
むしろ逆じゃないかな?
あなたの方でムカつくあいつをガン無視してやった。
確かそうだったよね?


これ以上は無いってほどに残酷なやり方でポイ捨てされた。
いや、それもちょっと違う。
きっぱりと別れを告げ、二度と話すまいと決めて奴と絶縁したのはあなただ。
真の勇者は、あなた。
あいつじゃない。


僕がここでやろうとしているのは、あなたが経験させられた屈辱という屈辱の全場面をとことん解体する作業なんだよね。
一旦全てをバラバラにした後で、想像力を駆使して奴とあなたとの力関係を再構成し直す。それが最終的なゴールだ。


這いつくばり、必死の形相でもがき苦しむあなたの姿を見下ろしながら、あいつが不気味にほくそ笑んでいる。
そんなおぞましい場面の記憶、もうよみがえらせなくったっていいじゃないか。
二度と思い出さなくたっていいんだよ。


では、これから先、一体どんなことをしていけばいいのだろうか。


あなたは既にサイコパス/病んだ精神の持ち主に関してはたくさんのことを学んだはずだよね?
今度はその豊富な知識でもって自らをしっかりと武装し、身を守らなくてはいけないよ。
自分が強者であるかのように考えるんだ。
強者なのだから、強者にふさわしい立ち居振る舞いを身に付けよう。
元々はあいつから仕掛けてきたゲームだけれども、このまま冷静に闘いを進め、最後に全戦全勝という栄誉を手にする。
そういう結末へと持ち込まなければならない。


僕個人としては、虐待がらみの人間関係から回復しつつある人の場合、想像力に頼ってでも自分を立て直しするのはごく自然で健全なことだと思っている。
脳内で同じトラウマを何度も何度も再生し、追体験で苦しむよりは、想像力の力を借りてでも速やかに傷から回復する方が、本人のためにもなるのではなかろうか。


だって思い出してもごらんよ。
かつてのあなたは、豊かな想像力を駆使することであいつの虐待行為ですら記憶からきれいに消し去っていたよね?
脱価値化が進み、扱われ方がますますぞんざいになっていった時期に至ってもなお、あいつの「長所」を美化しようと、随分話を膨らませていたよね?
(そもそもあいつに長所なんてあったっけ?)


せっかく豊かな想像力に恵まれているのだから、今ここで使わなきゃ絶対損だよ。
頭の中に鮮やかなイメージを描いて、自分を変えていこう。
辛い状況からはさっさと脱け出そうじゃないか。
持っているものは大いに利用したらいいよ。


大丈夫。
時が経てば、全ての過去を冷静に検証できるようになるはずだから。
恥も外聞も忘れて取り乱し、ショックに打ちひしがれ、不安で心が一時も休まることなく、半ば狂気と呼べる域に達していた。
そんな過去も確かにあったよ。
でも、あなたは当時の自分を恥じる必要なんてこれっぽっちも無いんだ。
堂々としていればそれでいい。


本当のあなたは、優しい心の持ち主のはずなんだ。
だけど、あそこまで異常な状況へと放り込まれてしまっては、さすがのあなただってそう冷静に振舞ってばかりはいられないだろう。


あいつは、あなたに備わっていた素晴らしい性質や才能をことごとく搾取し、台無しにした。
しかも何一つまともなフォローもせずに突然立ち去った。
これだけの仕打ちを受けた人に対し、暴発するな、落ち着け、なんて言う人がいたらそっちの方がむしろクレイジーじゃないだろうか?
そんなひどい目に遭わされたら、誤作動起こして醜態の一つや二つさらすのも仕方ないじゃないか。
僕だったらそう思うけどね。


このような結論へとたどり着くまでには、僕自身もかなりの時間を必要とした。
そうした時間を経た今、僕はかつての自分・ジャクソン君を、敬意のような、称賛のような、そんな不思議な感情とともに見つめ直している。


あのような極限状況にあってもなお、ジャクソン君は精一杯頑張っていた。
力の限りを尽くしていた。自分にできることは何でもやって。
だから僕はあの頃の自分を心からほめたたえてやりたいんだ。
多分、その気持ちは死ぬまでずっと変わらないと思う。


もちろん、最初からあんなひどい目に遭わずに済ませられるのであれば、きっとそれがベストなんだろうね。
もしもタイムマシンがあって時間を遡ることができるとしたら、過去の自分に会って、助け舟を出してやりたい。
実は、そんな気持ちも僕の中にはちょっぴりあるんだ。


...だけどね、そんなことして一体何になるというんだ?


そういう形での【仕切り直し(do-over)】は、やったところで全く無意味だ。


今の僕にとっても、過去の僕にとっても、何一つプラスになりはしないだろうね。


2019年2月13日水曜日

【コラム】真実は勝つ

サイコパス。
ソシオパス。
自己愛性パーソナリティ障害者。


そういった類の訳あり連中と一度でも遭遇した人ならばわかるよね。
あれはまるで「純度100%の悪」に触れたような体験だった。
同じように感じた人は大勢いるんじゃないかな。


奴らとの関係が一段落したからといっても、まだまだ油断するわけにはいかない。
絶え間ない不安、自分への不信感、どこまで行っても光が見えない状況。
そうした迷惑な置き土産に悩まされ、身動きすらできぬもどかしい日々がこの先あなたを待ち受ける。


生きる力もすっかり枯れ果ててしまった。
以前ならウキウキしたはずの場面に出会っても、今は少しも心が動かない。
感情が麻痺してしまったかのようだ。


共感力あふれる人々が良心を持たぬ奴らの毒牙にかかると、被るダメージはここまでひどいものとなってしまうのだ。


こちら側は生き生きとした魂の持ち主。
あちら側には魂が無く、抜け殻も同然の存在。
この両者がぶつかって生じた反応、あまりにも激烈過ぎた。
あなたが描いていた未来像も計画も、全て白紙状態となってしまった。


だけど、長い目で見ればこれは間違い無く人生最大級のチャンスとなるはずだ。
今はまだとても想像できないだろうけどね。


この危機を無事乗り越えることができれば、あなたは世界をあるがままの姿で見られるようになる。
あるがままの自分も認めてやれるようになる。
嘘や飾りでごまかされることなしに【真実】をはっきりと見極められるようになる。


そうなれば、少しずつ生きる力も戻ってくるだろう。
魂の奥底から自然と力が湧き起こり、あなたはもっと強くなる。
よそからの借り物ではない、内側から生じる力があなたのものとなる。
もう二度と他人の手で破壊されることのない、確かな力が。



Psychopath Free (Expanded Edition): Recovering from Emotionally Abusive Relationships With Narcissists, Sociopaths, and Other Toxic People
Jackson MacKenzie
Berkley (2015-09-01)
売り上げランキング: 9,111


毎回違った個性豊かなファッションや、ご自身の手によるイラストをふんだんに盛り込んだ動画でもって楽しませてくれるのが、アメリカ人YouTuberのSacha Slone(サシャ・スローン)さん。
問題のある【自己愛】の病を抱えた人達からどうやって身を守ったらよいのかを、ユーモアたっぷりに、明るくチャキチャキと語ってくれています。
コメント欄に寄せられたたくさんの書き込みも非常に参考になりますね。なんたって【被害者ならではの生の声】ですから。


陽気で前向き!なSachaさんのYouTubeチャンネルはこちら。
https://www.youtube.com/channel/UCL6rGSlLAsX0dC3hgus8R6g


こちらの動画:
【隠れ自己愛(Covert Narcissists)の騙しの公式:1ポジティブ→1ネガティブ】も、目からウロコの内容でした!



(動画要旨)



「私、被害者なんです~」
「僕、犠牲者です~」
「なんでいつも自分ばかりこんな目に遭わなきゃならないの?」
「カワイソな私/僕...」


そうやって自分からアピールしつつ、わざわざ不幸な身の上話を打ち明けに来るような人。
あなたの周囲にも一人や二人はいるでしょう?








それ、カモ物色中の【隠れ自己愛】と見てほぼOKですから! 
あなたが同情しやすいお人よし(=騙しやすい)人なのか、利用できそうなのかをチェックしてるんですよ。 
不幸話をしても大丈夫かどうか、ふるいにかけているんですよ!


ただ、あの手の人々の場合、その【自分カワイソ😢】な不幸自慢を会話の中にしれっと滑り込ませるやり方が実に巧妙でしてね。
本当に困ったものです。






あまりにもさりげないやり方で不幸話を投入してくるので、この手の人々に免疫の無い人だとなかなか気付くことができず、逃げ遅れてしまうのですよ。


うっかり同情心でも起こそうものなら、あっという間にあちらの罠にはまってしまい、最後には痛い目に遭う、...と。



実は、彼らがカモを引っ掛けようと狙っている時にする身の上話には、あるきまった公式があるのです。

それは、






【アゲて⤴、落とす⤵】


というパターンを繰り返す、というもの。
(これに加えて、表情やボディーランゲージも微妙に変化させます。)


典型的な【隠れ自己愛話法】は、こんな感じですね。


1.まずは相手がポジティブ&元気になれるような話をする。
(聞く人をいい気分にさせておく。おだてたり、ほめたりする。)
聞き手の気持ち・場の雰囲気を「アゲる

2.聞き手の気持ちがアゲ調子で安定したところで、すかさず【伏し目がち】【自信無さげな曇り顔】といった、微妙な表情の変化でもって【自分カワイソ】な話をさりげなく投入! 
話をふっと「落とす⤵」!


例:「ガーデニングを頑張ってステキなお庭を作るのに成功したの。ぜひうちに遊びに来てちょうだいね!」

「職場のみんなにもとっても良くしてもらってるよ。いい感じさ!」 


アゲる⤴️!


→急に悲し気な顔になる。
「カワイソな私」の役割になり切る。
「実は今、お金無いんだ」
「スマホのスクリーン割っちゃった...新しいスマホは買えないし。どうしよう...」


ふっと落とす⤵️!

  

他人、特に共感力あふれるカモ候補の感情をアゲて、そして落とす。
これを何度も繰り返し、相手の同情心に訴え、徐々に冷静さ(理性的な判断力)を失わせていき、最後には欲しいものを奪う。騙す。
それが隠れ自己愛(Covert Narcissists)の常套手段です。


彼らは


【アゲて⤴️、ふっと落とす⤵️】


という話法、そして表情を急変させるテクニックとを組み合わせれば、自分にとって有利な展開へと持ち込める、と経験から知っているんですよ。







そもそも、共感力豊かな人は目の前にいる人の悲しげな顔を見るのが大の苦手なんですよね。
その弱みに付け込み、同情心を巧みに刺激すれば、それほど疑いを持たれずにうまーく自分のペースへと引き込める。




隠れ自己愛はそうしたからくりを熟知しているからこそ、性懲りもなくずっと公式を使い続けるのです。



どうか奴らのそんな姑息な手口に引っ掛からないでください。


間違ってもお金なんて渡しちゃダメです。


まぁ、その人が本当に気の毒で、放って置けないような状況にあるとあなたが思うのであれば、話は別ですが。


でも、肝心なのは「助けた後の相手の態度」です。
そこだけはしっかりと観察してくださいね。


時間・お金を提供したあなたに対し、ろくろくお礼もしない。
感謝している様子すら見せない。
やってもらって当然、といった感じで偉そうにふんぞり返っている。



そういった残念な態度が確認できたら、その人とは今後一切関わらない方が無難でしょうね。



最初っからお人よしのあなたを騙して、利用する目的で近付いただけなんですから。


【顕示型(見た目にわかりやすい)】の自己愛だったら、「今すぐ助けて!早く!!!」といった大げさな困り方をしますから、早期の発見も、そこから逃げるのも、それ程難しくはありません。


ところが、【隠れ(Covert)】型・潜在陰湿型自己愛性パーソナリティを相手にしている場合は違います。
その本性に気付くまでには相当の時間を要するかもしれません。


でも、その正体をすぐに見抜くことができなかったとしても、別にあなたがおかしいわけではないのですよ。

よくあることなのです。



Stay strong! (気持ちを強く持って!)


2019年2月1日金曜日

複雑性PTSD

複雑性PTSD

症状:知覚麻痺、社会から隔絶されたように感じる、フラッシュバック(再体験症状)、特定の記憶がきっかけとなって発症、恋愛やセックスへの嫌悪感、「自分の中に二人いる」ような感覚、社会的に孤立。





感じる必要のある感情は余すところなく味わい尽くした。
今は身も心もボロボロ。
全精力を使い果たしたかのように消耗してしまった。


まぁ、何だかんだ言ってはみたが、所詮僕らも生身の人間でしかない。
怒りと鬱とを抱え込んだままで一生終えろ、だって?
そんなの真っ平ごめんだよ。救いも何もあったもんじゃない。


ある程度は本音をぶちまけるのも必要だろう。「健全」の枠内に留まっていられる限りは、ね。
だけど度を越せばそれもまた病的になり、中毒化する。
そうなると、後はただの反芻行為でしかない。


もうわかってきたはずだ。
あそこまでひどい虐待行為に出た人間とよりを戻すことなど、今後絶対にあり得ない、ってこと。
そう。
真っ黒な過去はどうあがいたところで真っ白にはならない。
無理だよ、そんなの。




となると、次には一体何が起こるのだろう?
「自分は虐待の被害者となった」
この辛い現実と折り合いを付けながら、元のような生活に戻るにはどうしたらいいだろう?
過度にちやほやされ、もてはやされることにすっかり慣らされた後にいきなり訪れたのは、平凡な日々の連続だった。
どうすればそこに楽しみを見出すことができるだろう?


今いる世界が前いた世界と同じだなんて、とても信じられない。
生気が抜け落ちてしまったかのようだ。
周囲にあるのはつまらぬ景色ばかり。
夢も希望も全く視界に入って来ない...。


きっかけはほんの些細な事だった。
激しく心をかき乱され、冷静さを失ったあまり、あなたは予想外の過剰反応に出る。
これには相手もびっくりだ。
本当ならば楽しいひとときとなるはずだった。
気になっていた人との念願のデートだったかもしれない。
あるいは旧友との久々の再会だったかもしれない。
なのに、あなたがとげとげしい態度に出たことで、雰囲気は一気に悪化。
何とも後味の悪い時間となってしまった...。
そのようなほろ苦い経験をした人、少なくないんじゃないかな。


「この人も、自分の思い通りに私を操ろうとしているんじゃないの?」
「やだな、また危ない奴に引っ掛かったらどうしよう」


あなたの心に敷かれてしまった厳戒態勢。
どうやらこの先しばらくの間は解除されそうにもない。


たかが冗談、と笑い飛ばすことだってできたはず。
だが、あなたはどうしても過剰な反応をせずにはいられなかった。



原因は明らかだ。
「恐怖心」が悪さをしたんだよ。
この恐怖心という奴、あなたの心の奥底にどっかと腰を据えていて、当分の間退去するつもりは無いようだ。
全くもって癪に障るよね。


恐怖心に乗っ取られたあなたは、見る人会う人誰もが自分に牙をむき、襲いかかろうとしているんじゃないか、との被害妄想に囚われ、ますます警戒の度合いを高める。
こんな調子ではおちおち街歩きもできやしない。



それでもなんとか力を振り絞り、家を出て、誰かに会いに行くところにまでこぎつけた、としよう。
あなたは早速、相手の口から出てくる言葉の一つ一つをいちいち深読みし始める。
不要に話をこじらせ、ややこしい方向へと持っていきたがる。
やがて相手との間には気まずい空気が漂い始める。


するとあなたは
「あ、この人とはもう終わりだな」
との極論へと走るんだ。
自分の中のモヤモヤを早く片付けたくて仕方がないんだね。
だから、特に明確な理由も無いのに、口実を次々とでっち上げて「ハイ、関係終了」との流れへと持って行きたがる。


もう少し後になれば、友を切り捨てる寸前だった当時の自分がどれほどおかしくなっていたかがわかるだろう。
後悔、自責の念、恥といった負の感情に激しく苛まれるだろう。


この時期には他人に対して抱く印象や人物評価もコロコロと変わりやすいものだ。
全肯定から全否定への瞬間移動なんて当たり前。
昨日の友は今日の敵、である。


ああ、確か前にもそういうことあったよ。
そう。例のサイコパスの正体が判明した時、だ。
あなたの中で、一瞬のうちにあいつが「100%シロ」から「100%クロ」へとひっくり返っただろう?
覚えているだろう?


あそこまで強烈な恐怖体験、長い一生の中でもそうそう何度もお目にかかることは無いよね。
あれ以降、あなたは見聞きする物事や人々についての全情報を「恐怖」というフィルターを通してキャッチするようになってしまった。
何もかもが「恐怖色」に染められた状態で自分の中に入って来るようになった。
不思議だよね。例のサイコパスと距離を置くようになってから、もう随分と経つはずなのに。


「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を発症する人は、何も退役軍人や誘拐事件の被害者ばかりとは限らない。
よく誤解されることだから、ここではっきりさせよう。
あなた自身が今、そうした状況の真っ只中にある、という事実が何よりの証拠さ。
今のあなたは、以下に挙げるPTSDの診断基準を全てクリアしているよ。


1.心的外傷が残るような出来事にさらされたか。
Yes。愛した人からの虐待という経験はトラウマ(心的外傷)となってあなたの心の中に深い傷跡を残した。当然、その後の人生にも大きな影響を与えていくはずだ。

2.心的外傷となる経験がしつこく繰り返されたか。
Yes。あなたは、いわゆる「ツンデレ」「鞭(むち)と飴(あめ)」、つまり冷遇期と蜜月期とが交互に繰り返されるパターンの虐待を相手から受けていたよね。何度も何度も。

3.執拗な回避、感情麻痺が見られるか。
Yes。あいつの言動があまりにも理不尽過ぎたために、辻褄合わせや苦し紛れの解釈といった作業があなたの中では半ば日常化していた。そのため、回避、感情の鈍麻化といった心的メカニズムを用いる機会が自然と増えてしまった。

4.発症前には見られなかった覚醒亢進状態【*訳注】がずっと続いているか。
Yes。「感情は後から遅れてやって来る」の段階からこのような症状を自覚するようになった人は多いんじゃないかな。
最終的にその高まりは不安や恐れといった感情へと転化されることで表に出てきたよね。
【過去記事】「感情は後から遅れてやって来る」 
https://sayonara-psychopath.blogspot.com/2018/12/blog-post.html
【*訳注:気持ち・感覚の高ぶり。原文は”arousal”。心理的・身体面での両方で平常時と比べて高ぶった状態にある、という意味と解釈しました。コトバンク/大辞林第三版の「亢進」の項、ご参照ください。https://kotobank.jp/word/%E4%BA%A2%E9%80%B2-495836 】

5.症状が一ヶ月以上続いている。
Yes。普通、サバイバーが立ち直り、再び誰かを愛せるようになるまでにはおよそ1年~2年の期間を要するとのことだ。

6.弱体化が甚だしい
今、あなたはどんな気持ちでいるだろうか?調子はどうだい? 
実際のところは「弱体化」なんて生易しいものじゃない、よね?




これでわかってもらえただろうか。
あの体験を境に、あなたの脳内では化学物質の状態が激的に変化してしまったんだ。
もし、心の専門家の助けを借りるのであれば、こうした厄介な脳の仕組みまできちんと理解している人を選んだ方がいいと思う。
せっかく調子が上向いて来たというのに、突然脳が暴走し、それまでの努力が全て水の泡に...なんてことにならないためにも、ね。


メンタルを病んだからって、恥ずかしがることなんて全くないさ。
この先どうしよう、なんてくよくよしている暇があったら、その時間を「自分に合った心の専門家」を探し出す作業に費やした方がよっぽどいいよ。


個人的な話になるが、僕は「対人間の虐待(relationship abuse)」を専門とする心理療法家にかかることができたおかげで、非常に大きな成果を上げることができた。
この女性療法家と過ごした時間は、僕のその後の人生を大きく左右するような、かけがえのない経験となった。
今、穏やかな気持ちでこの本を書いていられるのは彼女のおかげだ。
彼女がずっと僕を支え続けてくれたからこそ、今日の平和な日々がある。
そう言っても決して大げさではないと思う。



ただ、気を付けておかなければいけないこともある。
心を扱う人々の中には「良い専門家」ももちろん大勢いる。
ただ、「ダメな専門家」も少なくないんだ。見た目には同じ「専門家」の看板を堂々と掲げているから厄介なのだが。
まぁ、これは何も心理職に限っての問題じゃないけどね。



「この先生、どうかな」
実際に顔を合わせてみて気に入ったら、続けてその専門家のところに通えばいい。
気に入らなければそれっきり、でもOKだよ。
あくまでも決定権はあなたの側にあるんだ。
別に心の問題を扱うプロはその人一人しかいないってわけじゃない。
どうもしっくり来ないと思ったら、他の先生のところに行ったって一向に構わないんだよ。


信頼すべきは自分の直感/直観(intuition)だ。
心の専門家選びに関しては、中途半端に妥協しちゃいけない、と僕は思っている。
「この先生がいい!」
心からそう言えるような専門家に出会えたら、ぜひともその縁は大事にしてもらいたいな。