2018年6月15日金曜日

喪失の段階――パートⅠ ⑥「私が〇〇してさえいれば」

「私が〇〇してさえいれば」


捨てられた後もなお、「あの人はまだ自分に関心を持ってくれているに違いない」との希望にすがりつく。
否認の段階にあるうちは、こうした未練が被害者の中にまだたっぷりと残っているはずだ。
あなたにとって、サイコパスと過ごした日々がそれほどまでに素晴らしかった、ということなのだろうか。


それだけに、あいつが既に他の誰かと付き合い始めた、との噂を耳にしても「まさか。そんなバカなこと、あるわけがない。」と耳をふさいでしまう。
(実際、まともな人間同士の恋愛関係だったら、そんなバカなこと有り得ないんだけどね。)


あいつと一緒に過ごした日々は、あなたにとっては何物にも代えがたい、特別な時間だったんだね。
それは、わかるよ。あいつの口から幾度となく出てきた
「他の人じゃダメなんだ、どうしても君じゃないと。君は特別だから。」
といった最大級の賛辞。そう簡単に記憶から消すことはできないよね。



「全ては終わった」
どうしてもこれだけは認めたくないんだね。
そんなあなたは「完璧な二人」を元の鞘に収めるためにも、何かしら自分の方からアクションを起こさねば、という気になっている。
「あの時、本当はどう振舞えばよかったのだろうか」という問いと、その答えとを、寝ても覚めても頭の中で繰り返す。


あいつと交わしたやり取りの一つ一つを頭の中で再生しては、「あの一言のせいでこじれたのかな...」と、思い当たる部分を徹底検証していくあなた。
そして、「ああ、あんなことしなきゃよかった」といちいち嘆き悲しむ。
また、「自ら墓穴を掘ってしまった」(と、あなたは信じ込んでいる)場面についても、「もっと◯◯すればよかった」と模範解答を後付けでいちいちこしらえてみる。
自問自答の日々はどこまで行っても出口が見えない。
そうした状態を、あなたもきっと体験することになるだろう。


以下に、やってしまいがちな自問自答の例を挙げるよ。

● 「元カノ/元カレとのこと、あまりしつこく突っ込まなければよかった。そうすれば、別れずに済んだかも」

● 「あの週末旅行、キャンセルすればよかった。そうすれば、彼女に心を移したりしなかったかも」

● 「プレゼントはもっと気の利いたものにすべきだった。あんなつまらない物をあげたから、私がどれほどあの人を好きかってこと、充分に伝わらなかった」

● 「いちいち批判するのはよしてよ、なんて面と向かって言わなきゃよかった。細かくてうるさい奴だ、と嫌われてしまった」

● 「音信不通の時期も、『大丈夫、大丈夫』って顔で平静を装えばよかった。うるさくつきまとったから、重たくて面倒くさい奴だ、って悪印象だけが残った」

● 「あの日、別の服を着ていけばよかった。そうすれば幾分かはマシに見えたかも」


いやはや、全く何てことだ!
あいつがどこを取ってもクズ人間ということは、火を見るよりも明らかじゃないか!
こんな奴から音信不通、浮気、虐待、そして最後のポイ捨てという、到底正当化できないような仕打ちを受けたのに、あなたは未だにこいつと「よりを戻したい」と望んでいる。
どうしてそうなるんだろうね?


万が一、あいつが多少は悔い改めてマシになる、と仮定してみようか。
だけど、そう仮定してみたところで、あいつとあなたの関係は実際よりもマシなものとなっていただろうか?
そのまま別れずに、付き合い続けていただろうか?
答えは「No」で決まりだろう、と僕個人としては思うけどね。




愛は、地中に深く根を張った樹木のようなものでなくちゃいけない。
水上にぷかぷかと浮かぶ船ではないんだ。
どっしりと安定感があって、ブレることが無い。そういうつながりこそが「愛」と呼ぶにふさわしいのだと思う。


「もし...であれば」の条件でガチガチに縛られ、常に変動する周囲の状況に右へ左へと翻弄されているようでは、その関係、とても愛とは呼べない。


あなた自身は「過ち」と後悔しているけれど、そうした事柄にしたって、半分は相手の許しがたい振る舞いに対して示した、実にまっとうな反応ではなかっただろうか。
少なくとも、僕の目にはそのように映るよ。


「もしあの時〇〇していれば」という、仮定法過去の文いくつかでもって辛うじて繋ぎ止められているような間柄。
あいつとの仲が単にその程度のものだとすれば、それは人間関係としては最低の部類に属するものだ。
そう断言して構わないと思う。


あなたはいつも、「腫れ物にさわるように」あいつに接する必要があったんだろう?
ちょっとでもしくじって、あいつの計画通りに事が進まなくなってしまったら、一挙に全てが吹っ飛ぶような、それこそ一触即発の関係だったんだよね?
ずっとその中に囚われたままだったんだよね?
こんな人間関係、「仲間付きあい」としても、「支え合い」としても、認めるわけにはいかないよ。


あなたは、腕組みをしたしかめっ面の監視役が見守る中、綱渡りさせられるような、そんな厳しい状況に置かれていたんだよ。
向こう側に安全にたどり着けるよう、手ぐらい差し伸べてくれてもいいのにね。もちろん、そんな助けなど無かったさ。


もし、そこであなたが綱から落ちてしまったら?
あいつは、当然放置するよ。落ちるがままにさせるさ。
で、独りごつんだ。「あーあ。落ちなきゃよかったのにな...」と。


ちょっと先走って話を進めたようだね。
そうだったね。今、僕たちは「喪失の段階」を検証しているところだったっけ。
21歳当時のジャクソン君が特別出演してぶつぶつ文句を垂れるべき場面ではなかったよね。


とにかく、こうした考えがごちゃごちゃと湧いてくるのは、全く異常でも何でもなく、この時期にはごく普通に見られることだ、ってことだけは理解しておこう。



時機が来ればそうした自問自答の波も次第に引いていくはずだよ。
本書では、順を追って「喪失の段階」を歩んでいくわけだけど、もう少し先の部分ではサイコパシー(精神病質)の問題についても深く掘り下げていくことになる。
あなたがそこまで無事辿りつくことができれば、頭の中がすっきりと整理できて、心のモヤモヤも晴れるんじゃないかな。



もし可能であれば、「あの時〇〇してさえいれば」という考えが頭に浮かんでも、それを即、行動に移さず、ぐっとこらえて欲しいんだ。
今のあなたはやたらとハイになっていて正直、危なっかしいんだよ。
あれほど虐待されたにもかかわらず、当時の記憶を突然何もかも忘れてしまう、っていう可能性だって全く有り得なくはないんだ。


「たった一つの、気の利いた仕草」
「たった一つの謝罪の言葉」


これさえ手に入れば、相手との仲が全てが元通りになる...。
そのような極端な魔術的思考にさえ走りかねないんだよ。



二人の関係が今後元に戻ることは無い。
覆水盆に返らず。


例のサイコパスがあなたのことを本当に好きだった、と仮定してみようか。
相手から真剣に愛されていたのであれば、たとえ二人の関係が終わりを告げたところで、「私、あの時あんなことしなければよかった...」といった後悔の念があなただけに次から次へと湧いて来る、なんてことは普通、考えられない。


「あれをやったから、私は嫌われたのだ」と、過ぎ去った日々を何度も何度も掘り起こしては一人悶々と思い悩む。
本物の愛がもしあったとしたら、最終的に関係が破綻したとしても、そこまであなたが自分だけを責める必要は生じないだろうに、って今の僕なら思うけどね。


沈黙。
そして虐待。
愛にあふれた、思いやりのある人間一人を壊すには、この二つがあれば充分だ。


片方は、自分の行動に責任を取ることを頑として拒む、クズ人間。


もう片方は、平和を保つためになら、自分一人が全ての責めを負っても一向に構わない、と相手を必死にかばおうとする人。


「水と油」のようにかけ離れた性質の二人を掛け合わせたがゆえに、これほどの悲惨な結果がもたらされることとなってしまった。



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